はじめに
液‐液相分離 (liquid-liquid phase separation : LLPS) とは、組成の異なる二つの液体が互いに混ざり合わず、二相に分離する現象です。物理化学分野では古くから知られていたこの現象が、生体内でも起きていることが明らかとなり、新たな細胞機能制御として重要視されています。
生体内における相分離現象を理解するための一つのステップとして、精製タンパク質を使用し、細胞を用いないin vitroの系での相分離液滴(ドロップレット)の観察が行われています。しかし、相分離液滴を形成するタンパク質であってもpHや塩濃度によって液滴を形成しない場合があり、液滴形成条件を検討する必要があります。この検討は、タンパク質が生化学的環境で液滴を形成するかどうかの検証のみならず、どのようなメカニズムで液滴を形成しているのかを知る手がかりにもなります。なお、細胞外の系では、細胞内に比べて分子の混み合い効果が減少することにより、液滴ができにくくなることがあります。この場合、PEGなどの高分子をクラウディング剤として添加し、細胞内の夾雑環境を模倣することで液滴が形成されやすくなります。
本キットにはクラウディング剤、緩衝液、塩が含まれており、プロトコルに沿って実験することで、お手持ちのタンパク質の相分離形成条件を検討することができます。
- 本キットはお手持ちのタンパク質の相分離液滴の形成条件を検討するキットです。そのため、標準タンパク質などは同梱されておりませんのでご注意下さい。
キット内容
クラウディング剤
PEG400 | 15 g x 1 |
PEG4000 | 15 g x 1 |
PEG8000 | 15 g x 1 |
- PEG4000は融点が52-61°Cであり、融解し、固体となっている場合があります。固体となってもクラウディング剤としての性能には影響ありませんので、スパーテルなどでかき取ってご使用ください。また、他のコンポーネントについても温度上昇による品質への影響はありませんので安心してご使用ください。
緩衝液
500 mmol/l MES Buffer Solution pH 5.5 | 10 ml x 1 |
500 mmol/l MES Buffer Solution pH 7.0 | 10 ml x 1 |
500 mmol/l Phosphate Buffer Solution pH 6.0 | 10 ml x 1 |
500 mmol/l Phosphate Buffer Solution pH 7.5 | 10 ml x 1 |
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 7.0 | 10 ml x 1 |
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 8.0 | 10 ml x 1 |
500 mmol/l Tris-HCl Buffer Solution pH 7.0 | 10 ml x 1 |
500 mmol/l Tris-HCl Buffer Solution pH 9.0 | 10 ml x 1 |
塩
2 mol/l Sodium Chloride Solution | 20 ml x 1 |
2 mol/l Potassium Chloride Solution | 20 ml x 1 |
2 mol/l Ammonium Sulfate Solution | 20 ml x 1 |
保存条件
0–5 °Cにて保存してください。
- PEG400は吸湿しやすいため、使用後は必ずキャップを閉め、シリカゲル同梱のアルミラミジップに入れて保管してください。繰り返し開封する場合はあらかじめ小分けして保管してください。
必要なもの (キット以外)
- 目的のタンパク質、DNA、RNAなど
- 電子天秤
- マイクロピペット
- マイクロチューブ
- コニカルチューブ
- ボルテックスミキサー
- マイクロプレート
- プレートリーダー
- 顕微鏡
操作
相分離液滴を作製し、観察する方法はいくつかありますが、ここでは96 well plateを用いる方法とスライドガラスを用いる方法を紹介します。
96 well plateを用いる場合
96 well plateを用いる場合の詳細な手順は実験例をご覧ください。
溶液調製例
スライドガラスを用いる場合
スライドガラスで観察する場合の手順は、(LL01) LLPS Starter Kitで詳細に確認することができます。
溶液調製例
使用上の注意
- ピペッティングの回数が液滴形成に影響する場合がございます。操作毎のピペッティングの回数は統一してください。
- 温度により相分離液滴の数が増減する可能性がございます。室温に注意し、毎回一定の温度で実験されることを推奨致します。本取扱説明書に記載の実験は、20-25℃の室温下で行っております。
- 溶液調製後、相分離液滴が形成されるまでの時間は実験条件によって異なります。10分~24時間程度を目安に検討してください。
- サンプルの種類によっては、スライドガラスやプレートの底に液滴が馴染んで広がって(濡れて)しまい、球状の液滴が観察できない場合があります。濡れが生じた場合は、コーティングを施すことで球状の液滴を観察できる場合がありますのでご検討ください。また、底面に触れていない液滴を観察しても問題ありません。
実験例
別途用意したBSA(Bovine serum albumin)を検討対象のタンパク質とし、本キットを用いてタンパク質濃度とPEG濃度、緩衝液の種類とpH、塩の種類と濃度の順に検討を行った。なお、容器は96 wellマイクロプレートを使用した。
実験例1
クラウディング剤PEG8000を用いたBSAの液滴形成濃度の検討
BSAの濃度およびクラウディング剤の濃度の検討を行った。クラウディング剤はPEG8000を選択した。その他の条件は、150 mmol/l NaCl, 50 mmol/l HEPES buffer (pH 7.4)とした(いずれも終濃度)。
- 一般的にPEGは分子量が大きいほどクラウディング効果が高くなります。ファーストチョイスとしてPEG8000を終濃度 0-20%程度で検討することをおすすめします。分子量の違いによる影響を検討したい場合や、クラウディング効果の低いPEGを使用したい場合はPEG4000、PEG400をご使用ください。
- タンパク質の性質により、液滴を生じるタンパク質濃度には差があります。実験例ではBSA濃度を0-500 μmol/l で検討しておりますが、タンパク質によっては数µmol/lの濃度でも液滴を生じます。タンパク質濃度は1-1000 µmol/lを目安にご検討ください。
- 高濃度のタンパク質やPEGを用いて検討する場合、pHの変動に注意して下さい。もし、正確なpHを確認したい場合は、プレートや別途調製した溶液が目的の pHであるか確認してください。
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図 1 実験例1プレートレイアウト |
PEG8000 solutionの調製
- PEG8000を 7.5 g 量り取り、純水を加えて溶解し全量を 25 mlにして 30 w/v% PEG8000 solutionを調製した。
- 1.を下表のとおり希釈し、0-30% PEG8000 solutionを作成した。
濃度 (w/v%) | 30% PEG 添加量 (µl) | 純水添加量 (µl) | 最終濃度 (w/v%) |
30 | 3000 | 0 | 15 |
20 | 2000 | 1000 | 10 |
10 | 1000 | 2000 | 5 |
0 | 0 | 3000 | 0 |
緩衝液の調製
下記表に従い、500 mmol/l HEPES buffer solution (pH7.4) を調製した。
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 7.0 |
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 8.0 |
Total | |
添加量 | 1100 µl | 900 µl | 2000 µl |
BSA solutionの調製及び希釈系列の作製
- 2000 µmol/l BSA水溶液を2 ml調製した。
- BSAはSigma-Aldrich社から購入しました。
- 本実験ではBSAを純水に溶解したものを使用しています。お手持ちのタンパク質が塩を含んでいる場合は、目的に応じて透析を行い、ご使用ください。
- 96 well plate (IWAKI, 5882-096) のB‐G行に、純水を50 µlずつ添加した。
- A、B行に2000 µmol/l BSAを50 µl添加した。
- B-F行までピペッティングにて順次 1/2 に希釈して(F行で 50 µl 抜き取り)、 0-2000 µmol/lの BSA希釈溶液を調製した。
- 電動ピペットでは泡立ちやすいため、ピペッティングは手動ピペットで行ってください。
BSAの相分離溶液の調製と観察・測定
- 各wellに500 mmol/l HEPES buffer solution (pH7.4)を 20 µlずつ添加した。
- 各wellに2 mol/l Sodium Chloride Solutionを 15 µlずつ添加した。
- 各wellに純水を 15 µlずつ添加した。
- 各wellに0-30% PEG8000 solutionを100 µlずつ添加し、20回ピペッティングを行った。
- PEG8000 solutionは粘度が高いため、リバースピペッティングにてゆっくりと添加してください。
- 電動ピペットでは泡立ちやすいため、ピペッティングは手動ピペットで行ってください。
- PEG solution添加後、ピペッティングせずに長時間放置するとタンパク質が凝集する可能性があるため、添加後速やかにピペッティングしてください。
- 室温で静置し、各well 1時間後にプレートリーダーで濁度測定及び顕微鏡観察を行った。濁度測定では600 nmの吸光度を測定した。
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図 2 BSA濃度に対する濁度変化 |
図 3 BSA/PEG系液滴の相図および相分離液滴の顕微鏡観察画像 |
実験例2
緩衝液の種類及びpHの影響の検討
実験例1の結果を元に、BSAの相分離に最適な緩衝液の種類、pHを確認するため検討を行った。BSAは100 µmol/l、クラウディング剤は15% PEG8000、塩は150 mmol/l NaClを用いた(いずれも終濃度)。
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図 4 実験例2プレートレイアウト |
PEG8000 solutionの調製
[実験例1]と同様に、30% PEG8000 solutionを調製した。
各pHの緩衝液の調製
各緩衝液を下表のとおり調製した。
添加行 | 混合比 |
各緩衝液の500 mmol/l buffer solution (低pHのコンポーネント: MES pH 5.5 Phosphate Buffer pH 6.0 HEPES pH 7.0 Tris-HCl pH 7.0) |
各緩衝液の500 mmol/l buffer solution (高pHのコンポーネント: MES pH 7.0 Phosphate Buffer pH 7.5 HEPES pH 8.0 Tris-HCl pH 9.0) |
B | 10:0 | 100 µl | 0 µl |
C | 8:2 | 80 µl | 20 µl |
D | 6:4 | 60 µl | 40 µl |
E | 4:6 | 40 µl | 60 µl |
F | 2:8 | 20 µl | 80 µl |
G | 0:10 | 0 µl | 100 µl |
BSA solutionの調製
400 µmol/l BSA水溶液を5 ml調製した。
- BSAはSigma-Aldrich社から購入しました。
- 本実験ではBSAを純水に溶解したものを使用しています。お手持ちのタンパク質が塩を含んでいる場合は、目的に応じて透析を行い、ご使用ください。
BSAの相分離溶液の調製と観察・測定
- 96 well plate (IWAKI, 5882-096) の各wellに、500 mmol/lの各緩衝液を 8 µl ずつ添加した。
- 各wellに2 mol/l Sodium Chloride Solution 15 µlと純水 27 µlを添加した。
- 各wellに400 µmol/l BSA solution 50 µlを添加した。
- 各wellに30% PEG8000 solution 100 µlを添加し、20回ピペッティングを行った。
- PEG8000 solutionは粘度が高いため、リバースピペッティングにてゆっくりと添加してください。
- 電動ピペットでは泡立ちやすいため、ピペッティングは手動ピペットで行ってください。
- PEG solution添加後、ピペッティングせずに長時間放置するとタンパク質が凝集する可能性があるため、添加後速やかにピペッティングしてください。
- 室温で静置し、各well 1時間後にプレートリーダーで濁度測定及び顕微鏡観察を行った。濁度測定では600 nmの吸光度を測定した。また、測定後のサンプルのpHをpHメーターで測定した。
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図 5 BSA系相分離液滴のpHに対する濁度変化と顕微鏡観察画像 |
すべての条件で液滴の形成を認めたが、pHが低いほど、より相分離液滴を形成した。
実験例3
塩の検討
BSAの相分離液滴形成に塩がどのような影響を与えるか検討を行った。BSAは100 µmol/l、クラウディング剤は15% PEG8000、緩衝液は20 mmol/l HEPES buffer (pH 7.4) に設定した(いずれも終濃度)。
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図 6 実験例3プレートレイアウト |
PEG8000 solutionの調製
[実験例1]と同様に30% PEG8000 solutionを調製した。
緩衝液の調製
下記表に従い、500 mmol/l HEPES buffer solution (pH7.4)を調製した。
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 7.0 |
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 8.0 |
Total | |
添加量 | 1100 µl | 900 µl | 2000 µl |
BSA solutionの調製及び希釈系列の作製
800 µmol/l BSA水溶液を2 ml調製した。
- BSAはSigma-Aldrich社から購入しました。
- 本実験ではBSAを純水に溶解したものを使用しています。お手持ちのタンパク質が塩を含んでいる場合は、目的に応じて透析を行い、ご使用ください。
塩の希釈系列の作製
- 96 well plate (IWAKI, 5882-096) のB-H行に純水を50 µlずつ添加した。
- A行、B行に2 mol/lの各塩を50 µlずつ添加した。
- B行からG行までピペッティングにて順次 1/2 に希釈して(G行で 50 µl 抜き取り)、 0-500 mmol/lの希釈溶液を調製した。
BSAの相分離溶液の調製と観察・測定
- 各wellに500 mmol/l HEPES buffer solution (pH 7.4) を8 µlずつ、純水を17 µl ずつ添加した。
- 各wellに800 µmol/l BSA solutionを 25 µlずつ添加した。
- 各wellに30% PEG8000 solutionを100 µl添加し、20回ピペッティングを行った。
- PEG8000 solutionは粘度が高いため、リバースピペッティングにてゆっくりと添加してください。
- 電動ピペットでは泡立ちやすいため、混合は手動ピペットにてゆっくり行ってください。
- PEG solution添加後、ピペッティングせずに長時間放置するとタンパク質が凝集する可能性があるため、添加後速やかにピペッティングしてください。
- 室温で静置し、各well 1時間後にプレートリーダーにて濁度測定及び顕微鏡にて観察を行った。プレートリーダーでの濁度測定は600 nmの吸光度を測定した。
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図 7 BSA系相分離液滴の塩濃度に対する濁度変化と顕微鏡観察画像 |
BSA系相分離液滴はいずれも塩濃度が高いほど、液滴を形成していた。塩化ナトリウムを加えた系は濁度も高く、液滴の数も多かった。一方硫酸アンモニウムを加えた系は、濁度は低いものの液滴をよく形成していた。液滴が大きく、濁度としては低い値となったと考えられる。
付録 [緩衝液のpH調製について]
緩衝液を混合した際のpHの目安を下記の表に示します。なお、表は50 mmol/l(10倍希釈)の際のpHです。
- 希釈倍率によりpHが多少前後する可能性があります。
- 相分離アッセイでは場合により高濃度のタンパク質や核酸、PEGなどを使用するため、pHが変動しやすい性質があります。もし、正確なpHを確認したい場合は、プレートや別途調製した溶液が目的の pHであるか確認してください。
表 1 各pHの50 mmol/l MES buffer solutionの調製方法
500 mmol/l MES Buffer Solution pH 5.5 |
500 mmol/l MES Buffer Solution pH 7.0 |
純水 | pH |
100 µl | 0 µl | 900 μl | 5.5 |
90 µl | 10 µl | 900 µl | 5.6 |
80 µl | 20 µl | 900 µl | 5.8 |
70 µl | 30 µl | 900 µl | 5.9 |
60 µl | 40 µl | 900 µl | 6.0 |
50 µl | 50 µl | 900 µl | 6.1 |
40 µl | 60 µl | 900 µl | 6.3 |
30 µl | 70 µl | 900 µl | 6.4 |
20 µl | 80 µl | 900 µl | 6.5 |
10 µl | 90 µl | 900 µl | 6.7 |
0 µl | 100 µl | 900 µl | 7.0 |
表 2 各pHの50 mmol/l Phosphate buffer solutionの調製方法
500 mmol/l Phosphate Buffer Solution pH 6.0 |
500 mmol/l Phosphate Buffer Solution pH 7.5 |
純水 | pH |
100 µl | 0 µl | 900 µl | 6.5 |
90 µl | 10 µl | 900 µl | 6.6 |
80 µl | 20 µl | 900 µl | 6.7 |
70 µl | 30 µl | 900 µl | 6.8 |
60 µl | 40 µl | 900 µl | 6.9 |
50 µl | 50 µl | 900 µl | 7.0 |
40 µl | 60 µl | 900 µl | 7.1 |
30 µl | 70 µl | 900 µl | 7.3 |
20 µl | 80 µl | 900 µl | 7.4 |
10 µl | 90 µl | 900 µl | 7.6 |
0 µl | 100 µl | 900 µl | 7.8 |
表 3 各pHの50 mmol/l HEPES buffer solutionの調製方法
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 7.0 |
500 mmol/l HEPES Buffer Solution pH 8.0 |
純水 | pH |
100 µl | 0 µl | 900 µl | 6.9 |
90 µl | 10 µl | 900 µl | 7.1 |
80 µl | 20 µl | 900 µl | 7.2 |
70 µl | 30 µl | 900 µl | 7.3 |
60 µl | 40 µl | 900 µl | 7.4 |
50 µl | 50 µl | 900 µl | 7.4 |
40 µl | 60 µl | 900 µl | 7.5 |
30 µl | 70 µl | 900 µl | 7.6 |
20 µl | 80 µl | 900 µl | 7.7 |
10 µl | 90 µl | 900 µl | 7.8 |
0 µl | 100 µl | 900 µl | 7.9 |
表 4 各pHの50 mmol/l Tris-HCl buffer solutionの調製方法
500 mmol/l Tris-HCl Buffer Solution pH 7.0 |
500 mmol/l Tris-HCl Buffer solution pH 9.0 |
純水 | pH |
100 µl | 0 µl | 900 μl | 7.1 |
90 µl | 10 µl | 900 µl | 7.4 |
80 µl | 20 µl | 900 µl | 7.6 |
70 µl | 30 µl | 900 µl | 7.8 |
60 µl | 40 µl | 900 µl | 7.9 |
50 µl | 50 µl | 900 µl | 8.1 |
40 µl | 60 µl | 900 µl | 8.2 |
30 µl | 70 µl | 900 µl | 8.4 |
20 µl | 80 µl | 900 µl | 8.5 |
10 µl | 90 µl | 900 µl | 8.7 |
0 µl | 100 µl | 900 µl | 8.9 |
よくある質問/参考文献
LL02: LLPS Forming Condition Screening Kit
Revised Aug., 27, 2024