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蛍光色素による細胞間 H2O2 シグナル伝搬の可視化

株式会社同仁化学研究所 岩下 秀文

 過酸化水素(H2O2)は活性酸素の一種で、酸化ストレスと密接に関係しており長い間研究の対象となってきた。H2O2 は酸化ストレス因子としてだけではなく、化学的安定性と高い膜透過性から、細胞内で重要な働きをするシグナル分子として注目されており、細胞増殖、分化、移動、細胞死など多くのシグナル経路の制御に関わっている。シグナル分子としての H2O2 の研究は、一過的かつ反応性の高さがゆえに主に細胞内でのイベントに注目されてきた。一方で H2O2 の細胞間でのシグナル伝搬は十分に理解されていない。なぜならば、発生した H2O2 シグナルの空間的情報が時間と共に変化するため、シグナルを正確に可視化するための化学的アプローチに制約があるためである。本稿では、ある瞬間の空間的な情報を記録することで細胞間での H2O2 のやり取りを可視化した蛍光色素について紹介したい 1)
 今回筆者らはこれまで報告してきたボロン酸エステルを H2O2 反応性部位に持つ色素(PF2) 2) にフルオロメチル基を付与した蛍光色素、PG1-FM を開発した(図 1A)。フルオロメチル基は H2O2 と反応後生成するキノンメチドを介して近接する分子と共有結合することが可能である(図 1B)。つまり PG1-FM は、H2O2 発生箇所で H2O2 シグナル捕捉し可視化する。浦野らによる先行研究において、キノンメチドを発生する蛍光色素を用いることで 1 細胞レベルで標的分子を有する細胞を見分けることからも、キノンメチドを介した周辺分子との結合により色素の拡散を抑制することが期待できる 3, 4)。RAW264.7 細胞を用いて phorbol 12-myristate 13-acetate(PMA)刺激により細胞内でスーパーオキシドを介して H2O2 を発生させると、細胞内で PG1-FM 由来の蛍光が顕微鏡により確認された。また、diphenyleneiodonium(DPI)や Ebselen などの阻害剤を共存させた場合、細胞内の蛍光が低下したことから、PG1-FM は H2O2 を選択的に検出していることが確認できた。さらに、H2O2 と反応した PG1-FM は細胞内滞留性が飛躍的に向上しているため、顕微鏡を用いた蛍光イメージングだけでなくフローサイトメトリーによる定量解析にも適応できる。フルオロメチル基を導入することで色素の拡散防止、それによる細胞内滞留性の向上により、細胞内 H2O2 シグナルを高感度に検出することが可能となった。次に、細胞間でのレドックスシグナルを可視化するため、異なる 2 種類の細胞、ミクログリアとニューロンを用いた共培養系へ応用した。ミクログリアは lipopolysaccharide(LPS)刺激により細胞内で H2O2 を生成する一方で、ニューロンは H2O2 を生成することができない。この性質の違いを利用し、ミクログリアとニューロンを共培養しながら LPS 刺激によりミクログリアのみ H2O2 を発生させた。長時間刺激による H2O2 の発生後、PG1-FM を添加し、H2O2 を保持した細胞を検出した。期待通り、H2O2 を生成したミクログリアだけでなくミクログリアに接触しているニューロンにおいても PG1-FM の蛍光が観測された(図 2)。一方、ミクログリア内でスーパーオキシドと H2O2 発生に必須の p47(p47phos-/-)をノックアウトしたミクログリアを用いた場合、ニューロン内では PG1-FM の蛍光は観測されなかった。これらの結果は、ミクログリアで発生した H2O2 シグナルがニューロンに伝搬し、ニューロン内でPG1-FM の蛍光が観測されたことを示唆している。
 本稿で紹介した PG1-FM は、H2O2 の感知、キノンメチドを介した近傍分子への標識と連携して機能することで H2O2 シグナルを記録すると共に 1 細胞レベルで H2O2 シグナルを可視化している。ミクログリアとニューロンを用いた細胞間でのレドックスシグナルの可視化は序章であり、PG1-FM を用いた詳細な研究により神経細胞障害などの病態解明に寄与できるだろう。また、さらに複雑な細胞集団での H2O2 シグナルの役割を明らかにするツールとしての活躍も期待したい。

 

[参考文献]

  • 1) Iwashita, H. et al., “A tandem activity-based sensing and labeling strategy enables imaging of transcellular hydrogen peroxide signaling”, Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 2021, 118, e2018513118.

    2) Dickinson, B. C. et al., “A palette of fluorescent probes with varying emission colors for imaging hydrogen peroxide signaling in living cells”, J. Am. Chem. Soc., 2010, 132, 5906-5915.

    3) Doura, T. et al., “Detection of lacZ-positive cells in living tissue with single-cell resolution”, Angew. Chem. Int. Ed. Engl., 2016, 55, 9620-9624.

    4) Chiba, M. et al., “Activatable photosensitizer for targeted ablation of lacZ-positive cells with single-cell resolution”, ACS Cent. Sci., 2019, 5, 1676-1681.

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