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硫化水素による膵 B 細胞保護
Hydrogen sulfide protects pancreatic beta-cells from cell death

木村 俊秀
大分大学医学部薬理学教室 准教授
岡本 光弘
大分大学大学院医学系研究科 博士課程

要旨

 Hydrogen sulfide was historically recognized to be a toxic gas generated by natural resources. However, intracellular enzymatic production of hydrogen sulfide as a metabolite of L-cysteine has been recently demonstrated in mammals. More attention has been paid to hydrogen sulfide as a potential intracellular messenger, because it participates in modification of long-term potentiation in the neural cells and relaxation of the smooth muscle cells.
 We previously reported that the hydrogen sulfide donor NaHS inhibited glucose-induced insulin release from mouse pancreatic islets. Underlying mechanisms for the inhibition seems to be multiple. They include metabolic inhibition, opening of the ATP-sensitive K+ channel and other non-ionic events. We also demonstrated that NaHS and L-cysteine, a substrate for the hydrogen sulfide-producing enzymes, protected mouse islet cells from apoptotic cell death induced by high glucose or fatty acids, although they failed to influence ER-stress-induced islet cell death by thapsigargin or tunicamycin. NaHS increased total glutathione levels and decreased the production of reactive oxygen species in the mouse beta-cell line MIN6. Finally, we found that the expression of the hydrogen sulfide-producing enzyme cystathionine gamma-lyase (CSE) was induced by stimulation with glucose or anti-diabetic sulfonylureas in mouse islets. This supports an idea that hydrogen sulfide may be produced in an inducible manner just like the other two gasotransmitters nitric oxide and carbon monoxide. These findings also tempt us to suggest that hydrogen sulfide produced by CSE may be an intrinsic brake equipped within the pancreatic beta cell to inhibit insulin release and reduce cellular stress evoked by glucose and other insulin secretagogues, possibly via its anti-oxidant actions.

1. はじめに

 1980 年代に一酸化窒素が、続いて一酸化炭素が細胞内あるいは細胞間の情報を伝達することが明らかになり、メッセンジャーの概念に気体分子が加わることになった。硫化水素がシグナルを伝達することは、わが国の木村英雄(現・国立精神・神経医療研究センター)によって初めて提唱された。それから 15 年あまりを経て、硫化水素が第 3 のガス性メッセンジャーであるという認識に異論を唱える人はいないであろう。それを裏付けるように、硫化水素の影響を扱った論文が最近 5 年で急増し、関連する細胞機能も神経伝達・筋収縮から分泌現象・細胞死へと急速な広がりをみせている。本総説では、これまでの著者らの研究成果を中心に、膵 B 細胞における硫化水素の産生機構とインスリン分泌や細胞死への影響を概説し、硫化水素が細胞内で果たす役割について議論する。

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2. シグナル分子としての硫化水素


 硫化水素は、古くより自然界で産生される有毒ガスとして認識されてきた。実際、地獄谷と呼ばれる地域や鉱山などでは毒ガスによる事故の記録が残っているが、このガスの主要な有毒成分は硫化水素である。硫化水素の産生源は、自然界だけではない。近代になってからは、化学工場やゴミ処理場など人為的な発生源から産生されることも知られている。硫化水素の毒性は極めて強く、呼吸鎖を構成する酵素を阻害することで死に至らしめることも少なくない。一方で、このガスは硫化水素泉の効能に挙げられるように、健康を促進する一面ももちあわせている。
 硫化水素が生体内で産生されていることは、このガスによる中毒の研究に端を発している。 1989 年、脳内に高濃度の硫化水素が存在している可能性が示唆された 1)。 1996 年には、硫化水素が海馬神経細胞において NMDA 受容体のシグナルを増幅することで、長期増強を促進することが報告された 2)。硫化水素が細胞内でシグナル分子として働いていることが認識されたわけである。次いで、硫化水素が平滑筋を弛緩させることが報告された 3)。現在では、硫化水素が一酸化窒素や一酸化炭素に次ぐ第 3 のガス性メッセンジャーであることが広く受け入れられている 4)
 生体内の硫化水素は、現在 4 種類の産生酵素によって制御されていると考えられている。 CBS (cystathionine beta-synthase)は脳における主要な硫化水素産生酵素として同定され、前述の海馬長期増強に関わっている。現在では、脳以外に腎臓や肝臓に発現することがわかっている。 CSE (cystathionine gamma-lyase)は平滑筋における硫化水素の産生源として同定され、弛緩作用を制御している。 CSE は、脳を除く腎臓や肝臓などいくつかの組織に発現している。 CAT (cysteine aminotransferase)と 3-MST (3-mercaptopyruvate sulfurtransferase)は海馬や大脳皮質の錐体細胞などの神経細胞や血管平滑筋に発現し、2 つの酵素が協調的に働くことで硫化水素を産生する。これらの酵素は、L- システインを基質としており、CBS と CSE は細胞質に、3-MST は細胞質に加えてミトコンドリアのマトリックスに局在している。最近、D- システインから硫化水素を生合成する新規経路が腎臓で発見された 5)。この経路では、DAO (D-amino acid oxidase)と 3-MST が協調的に働くことで、小脳や腎臓で硫化水素を産生する。特に、腎臓では D- システインが L- システインに比べて 80 倍効率よく硫化水素を生成することがわかり、医療への応用が期待されている。また、硫化水素は各組織の産生酵素に加えて、腸内細菌により産生されることも知られている。硫化水素がガス性メッセンジャーであることから、周辺組織への影響を無視することはできない。上述の 4 種類の酵素は、発現が一部オーバーラップしている。そのため、各酵素の硫化水素産生能の違いや各組織における寄与については、さらなる解析が必要である。

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3. インスリン分泌抑制効果

 糖尿病はインスリンの欠乏および作用不全を示す全身性の代謝疾患である。我が国の糖尿病の大半を占める 2 型糖尿病では、膵 B 細胞からのインスリン分泌障害とインスリン標的細胞におけるインスリン抵抗性が様々な割合で入りまじっている。特に、日本人の糖尿病患者では前者の占める割合が大きいことが臨床的な研究から明らかにされている。インスリンは、血中のグルコース濃度すなわち血糖値の維持に重要なホルモンで、膵臓のランゲルハンス島(膵島)に存在する膵 B 細胞から分泌される。細胞内で合成されたインスリンは、顆粒膜に包まれた後に細胞膜近傍へ輸送される。グルコース刺激は、細胞内カルシウムイオン濃度の上昇を介して顆粒膜と細胞膜の融合を促進し、インスリンを細胞外に放出する。
 インスリン分泌を調節する栄養物質には、糖類やアミノ酸、脂質などが挙げられる。これらの物質で分泌抑制効果をもつものは極めて少なく、なかでも代謝されることによって分泌を抑制する物質は、ほとんど知られていない。筆者らは、非必須アミノ酸である L- システインが複数の経路を介して、膵 B 細胞からのインスリン分泌を抑制することを見いだした 6)。 L- システインによる分泌抑制は、高グルコースに加えてスルホニル尿素薬やケトイソカプロン酸、高カリウム脱分極による分泌刺激条件でもみられた。さらに、L- システインによる分泌抑制効果は、細胞膜を透過性処理した細胞でも見られた。さらに、L- システインが細胞内の ATP 産生を抑制することを、ルシフェリン・ルシフェラーゼ法と Rhodamine123 を用いたミトコンドリア膜電位測定より明らかにした。また、グルコースによっておこるカルシウムイオンのオシレーションを L- システインが抑制することも報告している。
 筆者らは、L- システインの効果を検討していく過程で、このアミノ酸から少なくとも部分的には硫化水素が産生され、インスリン分泌を抑制することを明らかにした 6)。硫化水素ドナーである NaHS は、L- システインでみられた抑制効果を再現した。さらに、膵 B 細胞に硫化水素産生酵素が発現していること、L- システイン処理により膵 B 細胞内で硫化水素が産生されることを見いだした。硫化水素は、代謝による ATP 産生の抑制や細胞内カルシウムイオンの動態に依存せずにインスリン分泌を抑制する経路ももっているが 6-8)、その詳細な機構に関しては今後の研究にゆだねられている。

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4. 膵 B 細胞保護効果

 硫化水素は、血管平滑筋の弛緩や神経伝達の調節に加えて、細胞死の惹起や抑制にも関わっている。惹起と抑制は、細胞や組織、種差に加えて、硫化水素の濃度や処置法、細胞障害の種類によって決まっていると考えられている。これは、硫化水素特異的な性質ではない。硫化水素より先行している一酸化窒素の研究では、濃度の違いにより相反する効果があらわれる「二面性の作用」が報告されている。
 筆者らは、マウス膵島とマウス培養膵 B 細胞 MIN6 を用いて、高グルコースによって誘導される膵 B 細胞死に硫化水素が及ぼす影響を検討した 9)。 L- システインと NaHS は、高グルコースで誘導される膵 B 細胞死を抑制した(図 1)。さらに、L- システインによる細胞死の抑制は、CSE 阻害薬 PPG の存在下ではみられなかった。また、この抑制には細胞内のグルタチオンの増加や活性酸素種産生の抑制が関与していることを示した。膵島機能への影響を検討した結果からは、細胞死の抑制は高グルコースによるインスリン分泌能の低下を改善し、膵 B 細胞を保護することがわかった。


 硫化水素による膵 B 細胞保護は、グルコース刺激に特異的ではない(図 1)。硫化水素は、パルミチン酸やサイトカイン、過酸化水素で誘導した細胞死にも同様の抑制効果を示した 10)。一方、小胞体ストレスを誘発するサプシガルジンやツニカマイシンによる膵 B 細胞死には影響を及ぼさなかった(図 2)。私たちの結果は、硫化水素が酸化ストレスから膵 B 細胞を保護するが小胞体ストレスには影響を及ぼさないことを示している。この保護作用は、前述の細胞内グルタチオンの増加を介した抗酸化作用に加えて、細胞保護的に働くプロテインキナーゼ Akt の活性化を介している。一方、Yang たちは、ラットインスリノーマ INS-1E を用いた実験 より、高濃度の硫化水素が小胞体ストレスを介した細胞死を引き 起こすことを報告している 11)。その差異は、膵 B 細胞における硫化水素の二面性を示していると考えられる。


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5. 誘導性硫化水素産生酵素 CSE

 組織や細胞種によって、機能している硫化水素産生酵素は異なっている。筆者らは、硫化水素のインスリン分泌抑制効果(硫化水素の短期的効果)を調べている過程で、膵 B 細胞には CBS と CSE が発現していることを明らかにした 6)。その後、硫化水素の細胞保護効果(硫化水素の長期的効果)を解析する過程で、高グルコースで長期間培養した膵島で CSE の発現が上昇することを見いだした 9)。発生過程で硫化水素産生酵素が誘導されることは既に知られていた 12,13)。また、非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)が胃粘膜細胞の CSE の発現を抑制する報告もある 14)。しかし、グルコースという生理的な物質が硫化水素産生酵素の発現を誘導することを示した報告は、筆者らの論文が初めてである(図 3)。興味深いことに、膵 B 細胞で保護効果を示したのは、発現誘導された CSE からの硫化水素であった 9)。長期間培養による CSE の発現上昇は、高グルコースに加えてスルホニル尿素薬でもみられたが、ニトレンジピンやジアゾキシド、マンノヘプツロースではみられなかった 15)。つまり、インスリン分泌を惹起する物質で長期間培養した膵 B 細胞において、CSE の発現が誘導されることが明らかになったわけである(図 4)。



 筆者らは、誘導性硫化水素産生酵素 CSE に着目し、その発現制御機構の解析を行った 15)。インスリン分泌惹起物質による細胞内カルシウムイオン濃度の上昇は、CaM キナーゼU を介した MAP キナーゼ経路を活性化した(図 5)。その結果、転写因子の SP1 と Elk1 がリン酸化された。さらに、2 つの転写因子をルシフェラーゼレポーターアッセイにより評価した結果、SP1 は転写調節領域に直接結合して CSE の発現を促進するが、Elk1 は間接的な制御を行うことを明らかにした。グルコースによる SP1 のリン酸化は、MIN6 に加えて INS-1E でも確認されている 16)



 インスリン分泌を惹起するグルコースで長期間暴露された膵 B 細胞は、CSE の誘導を介して細胞内の硫化水素産生を促進する。産生された硫化水素は、短期的にはインスリン分泌を抑制し、長期的には膵 B 細胞を保護する。筆者らは、硫化水素とは疲弊した膵 B 細胞の活動(インスリン分泌)を下げることで、慢性的な高グルコースによる障害から自身を守るための保護因子(intrinsic brake)であると考えている(図 6)。


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6.おわりに

 本総説では、これまでの筆者らの研究を中心に、膵 B 細胞における硫化水素の機能について紹介した。硫化水素のインスリン分泌抑制効果は一見、糖尿病治療薬への応用からは外れているように見える。しかしながら、この抑制効果が膵 B 細胞を慢性的な高血糖による障害から守ることは興味深い。筆者らは現在、個体レベルの解析を行うために CSE ノックアウトマウスにおける耐糖能異常について研究を行っている。また、紙面の都合上、今回は紹介できなかったが、CSE から産生された硫化水素による細胞保護機構を分子レベルで解析するために、そのターゲット分子の網羅的な解析を行っている。これらの研究についても、近い将来に報告できることを期待している。

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7.謝辞

 本研究は、大分大学医学部 故仁木一郎教授、精神・神経医療研究センター 木村英雄部長、琉球大学医学部 山本秀幸教授、藤田保健衛生大学医学部 湯沢由紀夫教授、大分大学医学部 石崎敏理教授、慶應義塾大学薬学部 石井功准教授、北里大学薬学部 内藤康仁講師、静岡県立大学薬学部 金子雪子助教との共同研究によるものです。また、本研究を推進するにあたり大分大学医学部薬理学教室の学生諸氏のご協力を得たことを感謝致します。 本研究の一部は、文部科学省科学研究費(C)及び、大分放送文化振興財団の支援により行われました。

 

著者プロフィール
氏名 木村 俊秀
所属 大分大学医学部薬理学教室 准教授
連絡先 〒 879-5593 大分県由布市挾間町医大が丘 1-1
TEL : 097-586-5722 FAX : 097-586-5729
E-mai l : t-kimura@oita-u.ac.jp
学位 博士 (医学)
名古屋大学医学系研究科 神経情報薬理学講座(貝淵弘三教授)
略歴 2005 年 名古屋大学医学系研究科博士課程修了
2005 年 大分大学医学部 薬理学教室 助手
2007 年 大分大学医学部 薬理学教室 助教
2010 年より現職
研究テーマ 硫化水素による膵 B 細胞保護機構の解析、GDP 型 G タンパク質シグナリングの解明、分泌マシナリーのリサイクリング機構の解析
 興味のある方は、E-mail で問い合わせをしてください。大学院生を広く募集しています。
ホームページ http://www.med.oita-u.ac.jp/pharmacology/
趣味 ドライブ、ランニング、テニス

 

氏名 岡本 光弘
所属 大分大学大学院医学系研究科 博士課程
略歴 2003 年 3 月 大分大学医学部医学科卒業
2010 年 4 月〜 大分大学大学院医学系研究科博士課程 在籍
趣味 スポーツ観戦、バドミントン、フットサル

 

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