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NO の次は H2O2?−シグナル伝達分子としての過酸化水素−

(株)同仁化学研究所 佐々本 一美

  

 血管は弛緩と収縮とのバランスによって、その緊張性を調節・維 持している。 血管内皮から産生される血管弛緩因子(EDRF)の 存在と、その本体が一酸化窒素(NO)であることを突き止めた功 績に対して、1998 年のノーベル医学生理学賞が Drs. Furchgott, Ignarro, Murad の3人に与えられたことは記憶に新しい。 血管は、内側を裏打ちしている内皮細胞にある NO 合成酵素(eNOS)によって常に NO を産生している。 NO は外側を取りまく血管平滑筋細胞に拡散し、cyclic GMP 合成酵素(sGC)のヘム部分に結合し、この酵素を活性化する。 血管の弛緩は、cyclic GMP 濃度の上昇によって引き起こされる。

 実はこれ以外にも細胞膜の過分極による血管平滑筋の弛緩メカニ ズムが知られており、内皮細胞由来の過分極因子(endothelium- derived hyperpolarizing factor = EDHF)の存在が提唱されてきた。 特に、細い血管になるほど血管弛緩における EDHF の寄与が大きくなると言われている。 例えば、以前からニトロ剤が大き な冠状動脈にしか作用せず、細い冠状動脈には作用しにくいことが 知られており、NO 以外の弛緩因子(メカニズム)の存在が疑われていたが、用いる血管の種類や種によっても結果が異なるため、 EDHF の本体はこれまで謎につつまれていた。

 EDHF は NO と同様、Ca2+/Calmodulin 依存的に血管内皮で産生・遊離され、血管平滑筋のカリウムチャネルを開口させる ことによって弛緩を引き起こすと言われている。 NO は NOS によってアルギニンから産生されるが、アルギニンや NOS の補酵素が存在しない状態では、EDHF が NO に代わって血管弛緩を起こすことが知られており、EDHF と NO は補完的に作用し合っていると考えられている。 1980 年代後半には EDRF イコール NO であることが実証され、その後も飛躍的に NO に関する研究が進展したのと対照的に、EDHF は同時期にその存在が提唱されたにもかかわらず、これまで同定されずにきた 1)

 幾つかの EDHF 候補分子が報告されており、例えば Busse らのグループはアラキドン酸カスケード中の cytochrome P450 monooxygenase によって産生される epoxyeicosatrienoic acids (EETs)が EDHF の本体であると主張している2)。  また、 Edwards らはラットの肝動脈ではカリウムイオンがその本体であると結論している 3)。さらには、そのような内皮細胞由来の因子が存在するのではなく、内皮と血管平滑筋との gap junction を介して過分極が伝播するという説もある4)

 このような中、最近になって下川らのグループにより EDRF の本体が過酸化水素であるという論文が出され注目されている 5),6)。彼らは eNOS ノックアウトマウスの腸管膜動脈を用いる実験で、eNOS が superoxide anion(O2-)を産生すること、さらにそれが SOD によって還元され H2O2 を発生し、血管平滑筋に移行してカリウムチャネルを開口させ、弛緩を惹起することを実 証した(図1)。 eNOS は NO と同時に O2-を産生しているが、これらは互いに反応して peroxynitrite(ONOO-)を産生する。 NO/O2-の産生のバランスは、血管の種類や状態によっても左右されるが、反応場としては heterogeneous である細胞内の局所では O2-が NO による捕捉を免れ、SOD によって H2O2 に還元されると考えられる。

 

図1.過酸化水素を介する血管弛緩メカニズム(文献6より改変)

 

 活性酸素の一種である過酸化水素は NO と同様、シグナル伝達分子としての機能が注目されつつあるが、ここでも内皮-血管平滑 筋間の細胞間シグナル伝達分子として機能していることが示され た。 NO と H2O2 とは血管弛緩に関しては補完的に作用し合っており、全体像の解明にはこれらに特異的な可視化プローブ分子 の開発が欠かせない。

 

参考文献

1) この分野の第一人者は、フランスの P. M. Vanhoutte である。 以下の彼の文献が参考になる。 Vanhoutte, P.M., editor. 1998. Endothelium-derived hyperpolarizing factor. Harwood Academic Publishers. Amsterdam, The Netherlands. 335 pp; Vanhoutte, P.M., editor. 1999. Endothelium-dependent hyperpolarizations. Harwood Academic Publishers. Amsterdam, The Netherlands. 433 pp.

2) Fisslthaler, B. Popp. R., Kiss, L., Potente, Harder, D. R., Fleming, I., and Busse, R., Nature, 401, 493-497 (1999); Fleming, I., Michaelis, U. R., Bredenkotter D., Fisslthaler, B., Dehghani, F., Brandes, R. P., and Busse, R., Circ. Res., 88, 44 - 51 (2001).

3) Edwards, G., Dora, K. A., Gardener, M. J., Garland, C. J., and Weston, A. H., Nature, 396, 269-272 (1998).

4) Yamamoto, Y., Fukuta, H., Nakahira, Y., and Suzuki, H., J. Physiol., 511, 501-508 (1998); Edwards, G. Thollon, M., Gardener, M. J., Feletou, M., Vilaine, J. -P., and Vanhoutte, P. M., Br. J. Pharmacol., 129, 1145-1154 (2000).

5) Matoba, T., Shimokawa, H., Nakashima, M., Hirakawa, Y., Mukai, Y., Hirano, K., Kanaide, H., and Takeshita, A., J. Clin. Invest., 106, 1521 - 1530 (2000).

6) Vanhoutte, P.M., J. Clin. Invest., 107, 23 - 25 (2001).