包接認識化合物、カリックスアレーン
〜キラル認識特性を持つカリックスアレーン誘導体〜
(株)同仁化学研究所
大瀬戸 文夫
【カリックスアレーン誘導体の認識特性】
カリックスアレーンは、フェノールとホルムアルデヒドのアルカリ条件下での縮合反応で合成される大環状化合物であり、合成反応条件(塩基の種類、濃度および温度など)を厳密に調節すれば、高度希釈条件下で行う必要もなく、大きさの異なるものを選択的にかつ大量に合成することが可能である
1)
。
カリックスアレーンは、下端側および上端側にそれぞれフェノール性水酸基および芳香環を持ち、様々な機能性官能基による化学修飾に対して活性である。芳香環の反転によるコンフォメーション異性体が存在し、嵩高い置換基を導入することにより芳香環の反転を抑制し異性体それぞれを単離することも可能である。また置換基を位置選択的に導入したレギオ異性体を合成することも比較的容易である。更に、クラウンエーテルなどと比較して分子自由度が低く、したがってゲスト分子に対して「pre-organized」したホスト分子の設計が可能である。
このような理由から、カリックスアレーンはクラウンエーテルやシクロデキストリンとともに包接化合物の基幹物質として数多く利用されるようになった。これまで数多くの研究報告のもとに包接認識特性が明らかとなり、今では「第三の包接化合物」と言われるように超分子化学の中心的な役割を演じる多彩多芸な化合物として注目を集めるようになった
2)
。
カリックスアレーン誘導体の下端側水酸基には、酢酸エステル
(
1
)
あるいはオキシエチレン鎖を基本とした金属イオン包接部位を容易に構築することが可能であり、したがって、それをもとにしたイオン選択性電極用イオノフォアを容易に合成することができる。山本ら
3)
は、カリックスクラウン誘導体を用いて、カリウムに対して実に10万倍に達するナトリウム選択性イオノフォア
(
2
)
を開発しており、Backerらもその事実を確認している
4)
。これは、これまでに開発されたナトリウムイオノフォアの中では最も高い選択性を示すものであり、ゲスト分子に大きさを合わせて「pre-organized」したホスト分子を設計・合成できるカリックスアレーンの利点をうまく利用した結果と言える。
カリックスアレーンは化学修飾に対して活性であり、様々な発色団を容易に導入することが可能である。したがってゲスト分子を認識したことに対する応答も、先に示した膜電位変化ばかりでなく、紫外可視吸光、蛍光および円二色性スペクトルなど様々な方法で読み出すことが可能である。青木ら
5)
、あるいはJinら
6)
はカリックスアレーンにピレニル基を導入した蛍光性カリックス[4]アレーン誘導体を合成し
(
3
,
4
)
、ナトリウムイオンの蛍光性包接認識化合物としての特性を示した。更に、久保らはカリックスアレーン骨格自体を色素化した、インドアニリン誘導体型カリックスアレーン類を開発し、カルシウムイオン比色認識化合物
(
5
)
としての特性を示すことを明らかにした
7)
。
一方、カリックスアレーンは上端側に芳香環を環状に配置した疎水性空孔を持ち、疎水性相互作用、CH-π あるいはカチオン-π 相互作用などにより有機分子をその空孔内に取り込むことができる。また、カリックスアレーンにスルホン酸基を導入して水溶化することが可能であり
(
6
)
、したがって、水に不溶性の有機分子をその空孔内に捕捉して可溶化することが可能である
8)
。最近では、
カリックス[8]アレーン
を用いて煤の中からバックミンスターフラーレン(C
60
)のみを抽出精製方法が見い出されている
9)
。このように、カリックスアレーンの有機分子包接認識素子に関しても数多く報告されている。
【カリックスアレーンによるキラル識別】
生体膜に存在する無数のレセプターとそれに結合するリガンド、あるいは抗原と抗体の認識反応に代表されるように、生体内には数多くの分子認識機構が存在している。それは、鍵と鍵穴の例で示されるように非常に厳密である。生体機能を模倣する「biomimetic chemistry」や、分析化学、生物化学などの多くの研究分野において、光学活性分子の鏡像体の認識・識別は大変重要なテーマとして取り上げられている。ここでは、カリックスアレーンを用いたキラル認識素子について最近の報文の中から幾つか紹介したい。
1.誘起円二色性スペクトルによるキラル認識
アドレナリンなどの神経伝達物質やアミノ酸などに代表される有機アミン類は、生理活性物質として重要な生体成分であり、その多くが不斉炭素を持つキラルな分子である。カリックスアレーンスルホン酸誘導体
(
6
)
は、分子不斉のない対称性の高い化合物であるが、系内に光学活性アミン類
(a あるいは b)
を共存させると、カリックスアレーンの環構造に不斉が生じ、誘起円二色性(ICD: induced circular dichroism)スペクトルを示すことが諸角らによって明らかにされた
10)
。これは、空孔内に取り込まれた光学活性アミンの側鎖部位とカリックスアレーンの芳香環の立体的反発によって、光学活性アミンの不斉を反映した芳香環のねじれの結果と考えられている。
彼らは更に水溶性カリックスアレーンを用いたアミノ酸およびその誘導体のキラル認識について検討している
11)
。しかしながら、フリーのアミノ酸の場合、光学活性アミン類で生じたようなICDスペクトルは全く認められていない。
1
H-NMRスペクトルにより、そのアミノ酸類とカリックスアレーンとの相互作用を検討してみると、不斉炭素付近のプロトンの化学シフトが高磁場側へほとんどシフトしていないことから、フリーのアミノ酸はカリックスアレーン空孔内に深く取り込まれていないことが分かった。これはアミノ酸が親水性であるためと、アミノ酸のカルボン酸基とカリックスアレーンのスルホン酸基との間の電気的な反発のためであろうとしている。一方、カルボン酸をメチルエステル化したアミノ酸類では、その不斉に応じてカリックスアレーンのICDスペクトルが観測されている。この場合も、アミノ酸類の不斉炭素に結合する側鎖の立体配置にしたがってカリックスアレーンの芳香環にねじれが生じることがICDの要因と考えられている。
この水溶性カリックスアレーンは、それ自身は分子不斉を持たない化合物であるが、アミン類あるいはアミノ酸誘導体などのゲスト分子の立体配置に誘起されて光学活性を示すことから、そのゲスト分子の絶対配置、キラリティーを予測する有用なホスト分子であると言える。
2.クロモジェニックカリックスアレーンを用いたキラル識別
久保らはインドフェノール誘導体型カリックスアレーン類を用いたクロモジェニックレセプターの開発を精力的に進めており、これまでナトリウムイオン
12)
、カルシウムイオン
7)
あるいはウラニルイオン
13)
の比色認識レセプターを開発している。彼らはこの分子に光学活性を持つ置換基を導入し、分子不斉を色の変化として認識するクロモジェニックカリックスアレーンを開発している
14)
。
分子の不斉を認識するには、少なくとも3点で相互作用するようホスト分子を設計する必要がある。カリックスアレーンは、その環構造が比較的堅く、したがってゲスト分子の構造に合わせて機能性官能基を立体的に配置したホスト分子を構築することができる。
久保らは、分子の不斉認識情報を効率良く光学的信号に変換処理するために、「dual optical sensory system」という新しい分子設計の概念を提唱している。これはホスト分子に環境のことなる二つの色素単位を導入し、お互いに機能を協調させ、不斉認識信号の増幅を計るというものである。
その分子設計思想をもとに、光学活性ビナフチル基を不斉認識近傍に持つインドアニリン誘導体型カリックス[4]アレーン
(
7
)
が合成された。この化合物は、エタノール溶液中515.5nmに吸収(ε= 14,500dm
3
mol
-1
cm
-1
)を持ち赤色を呈しているが、その溶液に光学活性第一アミンである(R)-フェニルグリシノールを添加したところ色調は赤色から青紫色へと変化した。これはインドフェノール誘導体の本来の吸収波長が538 nmにシフトすると共に、インドフェノール水酸基の解離による650 nm付近に新たな吸収が出現したためである。一方、鏡像体である(S)-フェニルグリシノールを添加した場合は650 nm付近のわずかな吸収のみが観測されただけで、538 nmの波長シフトは全く起こらず色調変化はほとんど起こらなかった。この不斉認識応答による色調変化は、肉眼でも識別可能なほどはっきりしたものである。大過剰の(S)-フェニルグリシノール存在下においても、その濃度に全く影響されることなく(R)-フェニルグリシノールの添加量に応じて吸収波長変化が起こることから、たとえR体とS体の混合物であっても正確にR体の濃度を求めることが可能である。
この化合物とゲスト分子との錯体は
Fig. 1
のように考えられている。分子の不斉を認識するには少なくとも3点で相互作用する必要があり、この場合クラウンエーテル部位、インドフェノール基およびビナフチル基がそれに関与している。クラウンエーテル部位とインドフェノラート部位ではゲスト分子の間で分子間水素結合を形成し、それがゲスト分子のアンカーの役目を果たす。そこでキラル炭素と窒素原子の単結合の回転が固定される結果、ゲスト分子側鎖の芳香環とビナフチル基との立体的反発の度合いがエナンチオマーによって違うことからキラル認識が発現したと考えられている。一方、色調の変化は、酸塩基反応によるインドフェノールの脱プロトン化と、ビナフチル基の倒れ込みによる疎水環境の強化に影響されたもう一方の色素の接動の二つが協調変化して達成されたと考えられている。
この化合物はエナンチオ選択的に色調が変化する比色不斉認識素子として機能するばかりでなく、一方の鏡像体のみを選択的に抽出する抽出試薬としての役割も果たす。アミノ酸類は一般的に有機溶媒に不溶であるが、この化合物を用いることで片方の鏡像体のみをエナンチオ選択的に固液抽出することができる。アミノ酸類似体としてフェニルグリシンを選び、結果としてR体のみが抽出されることを明らかにすると共に、エナンチオ選択的比色応答することを確認している
14)
。したがってこの化合物は、比色をもとにした光学純度分析試薬としての応用が大いに期待される。
【最後に】
天然には分子不斉を持つ化合物が極めて多種類存在し、生体内ではそれぞれ一方の鏡像体を生理活性物質として認識し利用している。それは、地球上に生命が誕生して以来数十億年の長い間に蓄積された蛋白質を中心とした高分子認識素子を用いることにより実現されてきたものである。超分子化学者は、それを分子量数千程度の小分子で実現しようというのである。金属イオンの認識素子においては、すでに天然物を凌駕する選択性を持つものが出てきている。分子認識においても、近い将来天然物に匹敵するほどの選択性をもつものが現れるであろうし、カリックスアレーン誘導体もその一翼を担うであろうとの想像に難くない。
参考文献
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