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漢方診療・再発見


4  感染症と漢方
岡田 誠治
熊本大学エイズ学研究センター
予防開発分野・教授

1.はじめに

 人類は、その誕生以来感染症に苦しめられている。人類どころか最強の恐竜であるTレックスさえもトリコモナス(現在では鳥や哺乳類に感染する原虫)の感染により命を奪われていたらしいことが最近判明している。20世紀には抗生物質や抗ウィルス剤の登場で感染症を抑え込むことが期待されたが、いまだに世界三大感染症といわれるエイズ・結核・マラリアをはじめ感染症により多くの人が命を落としているのが現実である(表1)。また、この四半世紀だけでもエイズウィルス、C型肝炎ウィルス、SARSウィルスをはじめとする多くの新たな病原体が発見され、ヒトの癌の約20% はウィルスなどの感染症に由来していること 等、ヒトが存在する限り感染症との関わりは避けては通ることはできないと考えられる。

 漢方医学では、体質や体の状態に応じて処方するため、主に慢性疾患が対象であると思われがちであるが、実は、急性感染症など多くの急性疾患に有効な処方が多い。本稿では、最近話題の新型インフルエンザとエイズを例に感染症への漢方のかかわりについて述べたい。インフルエンザと人類の付き合いは非常に長く、紀元前430年にアテネを襲った大疫病はインフルエンザであったと推測される。この疫病は、アテネのペロポネソス戦争の敗北の遠因となるのである。また、紀元前412年にも「高熱・震え・ 咳を伴う疫病があっという間に広がり去って行った」というヒポクラテスの記録が認められる。本邦においても平安時代以降様々な書物にその流行の記載が認められ、当然ながら漢方による治療が行われてきた。一方、エイズは1981年に発見された新しい疾患であるが、その巧妙な機構によりあっという間に世界中に広がり、既に3000万人がエイズにより死亡し、現在3300万人がエイズに感染していると言われている。本邦においてもエイズ患者数は増加の一途を辿っている。最近は新型インフルエンザやC型肝炎に世間の注目が集まっているが、エイズは秘かにその感染が広がっており、本格的に対策が必要になっている。

表1.世界三大感染症

感染症 罹患者数 年間死亡者数
エイズ 3,300万人 200万人
結核 915万人 166万人
マラリア 2億5千万人 88万人以上

表2.主なインフルエンザの流行

発生年 名称 死者数 致死率
1918年 スペイン風邪 H1N1型 4000万人 2.0%
1957年 アジア風邪 H2N2型 200万人 0.5%
1968年 香港風邪 H3N3型 100万人 0.5%
2008年 新型インフルエンザ(豚インフル) H1N1型 0.5%推定
季節性インフルエンザは日本で毎年1万人前後が死亡している(致死率0.05%)

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2.新型インフルエンザA(H1N1)

 今年4月にメキシコで始まった新型インフルエンザの流行は、 その後アメリカからあっという間に全世界に広がり、6月に入っ てWHOはパンデミック(Pandemic,世界的流行) を宣言してい る。平成21年9月現在で、世界中で30万人以上が罹患し、既 に数千人の死亡者が出ている。日本においても全国的に流行が続 いている。本邦においては、4月下旬から検疫体制が強化され、 国際空港における「機内検疫」や赤外線を用いた乗客の発熱状態 の検査が行われた。しかし潜伏期の患者を見つけ出すことはきわ めて困難であり、検疫体制の強化はある程度流行を遅らせる効果 はあったようだが、残念ながら本邦への侵入を防ぐことはできな かった。SARS騒ぎのときもそうであったが、航空機の時代に呼 吸器感染症の侵入を防ぐことは極めて困難である。流行開始当初 は、患者数をすべて報告する全数調査が行われたが、7月以降は 流行が全国に広がったため、現在では定点調査が行われている。 8月に入り高温多湿な日本においては流行が一時収束することが 予想されたが、案に反して夏休み中も流行は持続し、新学期を向 かえた9月以降は学校における集団感染が多発している。定点医 療機関あたりの患者数から推計される週間新規患者数は9月中旬 では18万人となり、更に流行は広がりつつある。

 インフルエンザの治療薬としては、タミフルとリレンザなどの 抗ウィルス剤が使われている。いずれもウィルスの複製を抑える 薬であり、発症後48時間以内に服用を始めることが必要である。 タミフルは10代の子供では異常行動が問題となっており、リレ ンザが処方される。また、最近タミフル耐性ウィルスが出現して いる。リレンザは吸入薬であり、適切に吸入することが必要であ る。タミフルの主原料は、中華料理の香辛料に使われる「八角」 である。八角は健胃作用などがあり漢方薬としても用いられるが ( 漢方名は大茴香)、八角そのものには抗インフルエンザ効果は ない。漢方薬では、麻黄湯がインフルエンザに有効であり、保険 適応である。最近、A型インフルエンザだと診断された患者を対 象に、抗ウィルス薬、総合感冒薬、麻黄湯のそれぞれを投与して、 効果を比較した研究が報告された。この研究によれば、麻黄湯を 投与した群で、総合感冒薬に比べると、急性気管支炎、肺炎の発 生率が低下することが明らかになった。さらに、発熱日数を比較 したところ、麻黄湯を投与した群は、抗ウィルス薬と同じくらい の短期間で済んでいることが分かった。漢方医学では、インフル エンザのような症状は、体の表面部にある水毒によって起こると 考えるようである。そこで、水毒を取り除く作用を持つ麻黄湯が 選ばれてきた。子どもや高齢者など、体力が衰えている人(虚証・ 裏証)に使うときは注意が必要であり、そのような場合には麻黄 附子細辛湯が良いとされる。また、板藍根(バンランコン)は、 中国でよく用いられている生薬であるが、清熱解毒作用がありイ ンフルエンザに有効であるとされている。

HIV-1の生活環と治療薬の図

図1.HIV-1の生活環と治療薬

 近年、鳥インフルエンザの流行が取りざたされてきたが、今回 の新型インフルエンザの流行は、多分に教示的なものがある。今 のところ過去の大きな流行に比べて死者数は少なく(表2)、季 節性インフルエンザに比べても致死率は高くはないとされるが、 最近では免疫的に異常のない若者の死亡例も報告されはじめてお り、今後も注意が必要である。現在のところタミフルやリレンザ のような分子標的薬が有効であるが、耐性を獲得する可能性があ り予断を許さない。麻黄湯のような漢方を有効に使うことにより、 耐性インフルエンザに対処することが必要になろう。

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3.エイズと漢方薬

 HIV-1感染に対する漢方薬の効果は、様々な角度から検証され てきた。小柴胡湯の主成分である甘草やグリチルリチルにHIV-1の複製を抑える作用があることやHIV-1感染細胞にアポトーシ スを誘導することが1990年代に明らかになり、感染者への投与 が検討されたが、当時は大きな効果は認められなかった。その 後、複数の抗HIV-1薬を組み合わせて投与するHAART (Highly Active Anti-Retroviral Therapy)の登場によりエイズ患者の生命予 後は著しく改善され、今やエイズは慢性疾患化している。しか し、治療が長期化するにつれて、肝障害や高脂血症・動脈硬化な どの抗HIV-1薬の様々な副作用が問題となっている。興味深い ことにHAARTによりHIV-1ウィルス量が良好にコントロールさ れておりCD4数が正常の患者でも悪性腫瘍にかかる確率が正常 人よりもはるかに高いことが分かってきた。HAARTによって複 製が抑えられていてもHIV-1潜伏感染細胞の存在により免疫系 が抑制されていることが原因と考えられているが、詳しいことは 解っていない。このような状態においては、漢方薬の効果が期待 される。また、現在の抗HIV-1薬はHIV-1のライフサイクルに 効くため、HIV-1の増殖を抑えることは可能であるが、潜伏感染 細胞には全く効果がなく、HIV-1を排除することはできない(図 1)。私たちは最近、麻黄湯がHIV-1潜伏感染細胞を活性化させ ることを見出しているが(Murakami T, et al . Biol. Pharm. Bull.,  31(12):2334-2337, 2008)、抗HIV-1薬と共に麻黄湯を投与す ることにより、体内から潜伏感染細胞を排除することが可能にな り、エイズの治癒が可能になるかもしれない。

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4.漢方薬による感染予防効果への期待

 ウィルスがヒトの細胞に感染するためには、まずウィルス表面 の蛋白が細胞表面の受容体と結合することによりウィルス膜と標 的細胞膜の融合が起こる。HIV-1の場合には、このウィルスの細 胞への吸着と侵入を阻害する侵入阻害剤が既に実用化されている (図1)。補中益気湯などの漢方薬には、ウィルスの侵入を阻害す ることによる感染抑制効果があることが明らかにされている。一 方で、補中益気湯などの補剤には、全身の体力を改善するととも にマクロファージの活性化、NK細胞活性化などの免疫増強作用 があることが知られている。また、副作用が少なく長期的な服用 が可能なものが必要である。これらの点を総合して、特に体力の ないお年寄りにおいては、補中益気湯などの漢方薬のインフルエ ンザなどへの予防効果が期待されている。

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5.おわりに

 生体防御に関与する免疫系は、様々な免疫担当細胞のバランス で成り立っている。近年、漢方薬の機能が科学的に解明されつつ あり、免疫細胞を腑活する機序がかなり明らかになっている。し かしながら、人体においては、免疫細胞の培養系における実験結 果がそのまま反映されるものではなく、ある免疫細胞を活性化す ることで生体における免疫系のバランスを崩し、却って生体防御 機構を低下させる危険性もある。漢方では、人体のバランスの偏 移偏倚を正常に戻すことによりその効果を発揮する。そのために はバランスがどのように崩れているかを正確に把握して、適切な 処方をすることが重要であり、正確な診断能力が要求される。今 後、漢方が様々な感染症の予防や治療に有効活用されることが望 まれる。

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筆者プロフィール
岡田誠治(おかだ せいじ)氏 顔写真
氏名 岡田誠治(OKADA Seiji)
所属 熊本大学エイズ学研究センター
予防開発分野・教授
連絡先 熊本県熊本市本荘2-2-1
略歴 1985年 自治医科大学医学部卒業
1985-1996年 茨城県で地域医療に従事(僻地診療所3年、地域中核病院4年) 
1996年 千葉大学医学部附属高次機能制御研究センター
生体情報分野・助手
2000年 千葉大学大学院医学研究科発生医学講座分化制御学・助教授
2002年 熊本大学エイズ学研究センター予防開発分野 教授     
研究テーマ ・HIV-1感染モデル動物を用いたHIV-1感染の病態解析と抗HIV-1療法の開発
・エイズ関連悪性リンパ腫の病態解析と治療法の開発

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