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環境生物学と医学を結ぶストレス研究
Stress Research in Environmental Biology and Medicine

顔写真 六反 一仁
徳島大学大学院ヘルスバイオ
サイエンス研究部
ストレス制御医学分野
要約

 The interplay between nature and nurture is complex and interesting. Genotype-environmental interaction refers to genetic sensitivity to environmental stressors and genotypeenvironmental interaction refers to genetic influence on exposure to environments. The response of individuals to stressful life events varies considerably and depends on a wide range of environmental experiences, together with cognitive and genetic factors. Genetic polymorphisms are considered to play an important role in human behaviors, personality dimension, and the development of specific patterns of illness. Recent studies have shown that common variants in the key molecules involved in serotonin metabolism(MAOA and SERT) can manifest antisocial behavior or depression when exposed to stressful life events. Gene expression profiling in blood cells is a potential approach to assess abnormal stress responses, which may be associated with development of stress-related disorders. This review will focus on the recent advance in genotype-environmental interaction in predicting behavioral outcomes.

キーワード:遺伝子と環境の相互作用、ストレス反応、遺伝子多 型、うつ病、ストレス評価用DNAチップ

1.はじめに

 熱ショックタンパク質や酸化ストレスの研究を続けてきたが、 ひょんな事からヒトのストレス研究の世界に紛れ込んでしまっ た。なぜストレス研究をやるのかと聞かれれば必要に迫られたと しか言いようがない。幸いにもこれまで真面目で優秀な多くのす ばらしい学生に恵まれてきた。同時に、真面目なヒトほどうつ病 になり易いという不条理な面があり、ストレスに対する脆弱性を 決めるのは何なのかを解明したいと強く思ったからである。生ま れ(nature)と育ち(nurture)の生命科学はこの本質に迫る命題 である。本項では、この本質に迫るような解説は到底出来ないが、 最近の「遺伝子と環境」の研究の発展を紹介し、我々の新たな試 みへと話を進めていきたい。

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2.遺伝子と環境

 生まれ(nature)が大事か、育ち(nurture)が大切かの論争は 過去のものとなった。環境がそろって初めて遺伝子が呼び起こさ れ、生まれもった遺伝的素因がまわりの環境を変えていく。経験 的に理解されているこれらを実証する研究は、遺伝子と環境の相 互作用並びに相関関係の研究である。遺伝子と環境の相互作用は 環境に対する遺伝的な感受性を、その相関関係はある環境への暴 露の機会を決める遺伝的な要因を指している。個人のストレスイ ベントに対する感受性や、その際の社会的な支援の形成などは個 人の遺伝子型に依存するとされている。そのような相互作用を示 す確かな証拠は乏しい。ある環境の測定値に対して遺伝子がどの ような影響を及ぼしているかについては、双子研究や養子研究と いった遺伝子の作用が極めて鋭敏に検出できる研究デザインを用 いて調べられてきた。最近、特異的な遺伝型を調べる研究手法が 確立し、その手法を組み合わせることにより遺伝子と環境の相互 作用の解明が少しずつではあるが進んできている。

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2.1.環境と遺伝子の相互作用と相関関係

 動物実験は、遺伝子と環境の両方を実験的に操作する事が可能 であり、主要効果と相互作用を直接評価できる利点がある。遺伝 的にストレスに高感受性あるいは低感受性を示す系統や純系動物 を用いることができる。しかしながら、動物の心理・行動データ をヒトの社会生活にそのまま適応することは難しい。とりわけ認 知能などに関しては、遺伝子と環境の相互作用を動物実験で見つ けることは困難である。また、双子研究は遺伝子と環境の相互作 用の研究には向いていない。というのは、生来の素因の中から環 境の影響を分離して検出することが難しいからである。

 遺伝子と環境の相互作用についての関心は高い。しかし、遺伝 子と環境の相関関係、つまり、環境に対する遺伝的影響の方がよ り重要かもしれない。我々がストレスと認知する過程にはこれま での経験が反映されており、自分自身と無関係なものではない。 また、病気やけがなどのライフイベントに遭遇する確率には遺伝 性があり、たまたま起こることではないらしい。個人の裁量で回 避可能なライフイベントに遭遇する頻度は、そうでないイベント に比べ、より遺伝的な要素がある。些細だが毎日続くストレッ サーの方が、重大なライフイベントより深刻な影響を身体に及ぼ すことが示唆されている。日常苛立ち事と呼ばれるこの種のスト レッサーに曝される危険性、社会支援ネットワークの形成、など も遺伝性を有しているように思われる。

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2.2.KendlerとEvansの学説

 KendlerとEvansは遺伝子と環境がどのように相互作用して精 神疾患を発症させるかを説明するため、3つのモデルを提唱して いる1)。彼らの学説は、最近の多くの経験論的な研究を議論する 上で有益な基盤となっている。最も単純なモデルは、不安やうつ 症状は遺伝子と環境要因が付加的に加わった結果であるという説 である。人々は遺伝子型に関係なく、ある環境ストレスに対して は同じように反応し、ストレスに遭遇する確率は遺伝的背景には 無関係であるというものである。しかし、環境ストレスと遺伝子 型が独立して働いているというこの仮説では、ライフイベントス トレスに対してより感受性の高いヒトがいるという経験的な事実 を説明できない。

 2番目のモデルは、ある環境下においては、遺伝子が個人のス トレスイベントに対する反応に影響するという説である。人生で 遭遇する経験は個人により大きな違いがあり、さらに、自己評 価、社会からの支援、気分、及び性格などの個人の特徴にも関連 している。神経症的性格(一部分遺伝的に決められる特性)傾向 が強いヒトはそうでないヒトに比べ、肉親の喪失や個人的な危機 に対する反応が異なる、というのがこのモデルの一つにあたるか も知れない。環境による遺伝子のコントロールについては、生ま れてまもなく母親から離して育てると、特定の脳の構造形成が影 響を受け、大人になると異常行動を現わすという動物実験で説明 されている。また、同じ動物でも系統が違えば幼少時のストレス に異なった反応を示すという事実は、ストレス反応には遺伝的背 景があることも証明している。しかし、このモデルは、ストレス イベントに対する個人の反応は遺伝子に左右されると説明してい るが、その個体がどれぐらい環境ストレスに遭遇しやすいかにつ いては遺伝子の影響を考慮していない。

 最も興味深い第3のモデルでは、遺伝子型は個人がストレス環 境に曝される確率を変化させると述べている。遺伝子と環境は独 立して作用するのではなく、相互に関連して作用する。基本的に、 ヒトは生涯を通じて遭遇する環境ストレスのレベルを自身で選択 しているのである。遺伝子は、また、ライフイベントストレスを ヒトがどのように思い出し、感じて、説明するかについても影響 を与える。

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3.遺伝子と環境の分子遺伝子学

 遺伝子は個人の性格に強く影響することは明白であり、性格は 多くの遺伝子によって決定されると考えられている。動物のブ リーダーにはなじみ深いと思われるが、性格に影響を与える遺伝 子の異なった変異体を代々受け継ぐことである決まった特性を生 み出すことができる。しかし、この種の実験はヒトでは非現実的 で、神経症的傾向の原因遺伝子や、他のどの性格傾向の原因遺伝 子を見つけ出すことは出来ないのではないか。

 ヒトの性格のような複雑な表現系は、数多くの遺伝子が量的に 付加的に作用して表現系を創り出すと考えられているため、しば しば量的特性と呼ばれる。付加的な影響を与える遺伝子座は量的 特性遺伝子座(QTL)と呼ばれる。多遺伝子型(多数の付加的な あるいは相互作用する遺伝子が関与)、多因子型(多数の遺伝子 と環境要因が加わるもの)という言葉も、同じく複雑な表現系 が多数の遺伝子の影響下にあるような場合に用いられる。ヒト ゲノムの完全解読と、それに引き続きHapmatプロジェクトによ り、数百数千のDNA配列の変異(遺伝子多型性)がヒトゲノム 全般に高密度存在することが分かり、ヒトの遺伝性疾患や複雑な 行動特性に関連する遺伝子を検出するための革新的な手段が提供 された。特定の家族のなかで代々受け継がれている特定の疾患や 特性に関連するDNA領域を検出するため、多数の遺伝子マーカー を用いた連鎖解析が行われた。単一遺伝子疾患や多遺伝子疾患の 原因遺伝子を同定するためのもう一つの方法は、大規模コホー ト集団と、同一集団から症例にマッチしたコントロールの間で、DNA多型の 頻度を比べることで特定の量的特性を評価する関連 解析である。関連解析は過去の家族連鎖解析によってあらかじめ 同定された一つの染色体の候補遺伝子群や限局された領域を調べ るために行われる。

 遺伝子と環境の相互作用に関連して、複雑な行動学的特性に 関与するいくつかの連鎖や関連性が繰り返し指摘されている2,3)。 しかしながら、これらの遺伝子を見つける作業は期待していたよ りも進んでいない。複雑な特性はほとんどの場合、最も大きな影 響を与えるQTLであっても、全体的な変化のたかだか1%も影響 を及ぼさない。このような小さな効果を検出するためには非常に たくさんのサンプルが必要である。しかし、環境に対する遺伝的 な感受性については、候補QTLの関連解析から、遺伝子と環境の 相互作用を示すいくつかの証拠が見つかってきている。

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3.1.ニューロトランスミッター関連遺伝子多型

 セロトニン(5-HT)やドーパミンなどのニューロトランスミッ ターは、動物実験や臨床研究により、気分や衝動性、感覚刺激追 求、依存症などのさまざまな行動の制御に重要な役割を果たすこ とが知られており、これらのニューロトランスミッター経路に関 連する遺伝子群が特に注目され、研究されている。セロトニン は、脳の初期発達に重要な働きをしており、セロトニンニューロ ンは感情、認知、運動を調節している。セロトニン関連遺伝子 群は、ヒトの性格にも関与する候補遺伝子である。セロトニン トランスポーター遺伝子のプロモーターにある5HTT gene-linked polymorphic region( 5HTTLPR)が短い型(s型)は長い型(l型) より転写活性が低く、よりうつ病に罹患しやすい。Caspiらは4)、 ニュージーランドのコホート研究で、26歳のコホート集団のう つと不安の症状を評価し、過去5年間に起きたライフイベントを 調査した。同じ程度のストレスイベントに遭遇してうつ病になっ たヒトとそうでないヒトとの間で、セロトニントランスポーター 遺伝子を比較して重要な違いを見いだした。うつ病になったヒト ではそうならなかったヒトに比べてs型の5HTTLPRが多い事実を 突き止めた。このことから、5HTTLPRは、ヒトが不幸な出来事 にどのように反応するのかを決定するのではないかという可能性 を示した。Glatzらは、ストレスとセロトニン系の連結を初めて 示唆した5)。彼らは組織培養を用いて、強力なグルココルチコイ ドホルモンであるデキサメタゾンは、生理学的な濃度でSERT遺 伝子の発現を刺激する事を証明した。デキサメタゾンのSERT遺 伝子のプロモーターに対する作用は遺伝子型に依存しており、こ の相互作用の違いは、ライフイベントストレスに高い感受性を持 つヒトはストレスに対して脆弱であることを説明する有力な証拠 となっている。

 ドーパミンは、セロトニンと同じく神経系に広く分布してお り、気分の調節を含めた様々な機能と関連している。ドーパミン 受容体ファミリーの一つ(DRD4)は、新規探求行動に関係する 可能性が示唆されている。Nobleの研究では、DRD4受容体のあ る変異を受け継いだヒトの新規探求傾向は高い傾向を示す6)。同 じ特性は、DRD2遺伝子のある特定の変異セットを持った男子に も多い。しかしながら、これら二つの変異体を個別に考慮した場 合に比べて、DRD4とDRD2の多型の両方を持っている場合には 新規探求傾向がさらに高くなる。

 セロトニン系に関与するもう一つの遺伝子、A型モノアミンオ キシダーゼの遺伝子(MAOA)、にも同じような問題が持ち上が る。このA型モノアミンオキシダーゼはドーパミンなどの他の ニューロトランスミッターの代謝にも働くが、この阻害薬は行動 異常(特にうつ病)の治療に長年使用されており、セロトニンの レベルを変えることで作用すると考えられている。この遺伝子の プロモーター領域には、転写活性を高めるあるいは低下させるよ うな2つの代表的な変異が知られている。この遺伝子はX染色体 上にあり、男性では異なる2つ目の対立遺伝子座がないため、ど ちらか一方の遺伝子型が表現される。低活性型の遺伝子型を持つ 男性は、悪い養育環境に感受性が高く、将来環境ストレスに曝さ れると反社会的行動や攻撃性を示す危険性が高まると一致して提 唱されている7)

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4.ストレス反応調節遺伝子

 ストレス反応に関与する遺伝子は、自律神経応答と神経内分泌 のストレス反応に関与する遺伝子群の二つのカテゴリーに大別さ れる。“闘争か逃走か”反応として表現される急性反応は交感神 経系を介した反応が主役であり、体内に広く分布する交感神経シ ナプスからのノルエピネフリンの放出と副腎髄質からのエピネフ リンの放出による。急性期に続くストレス反応は、グルココルチ コイド(ヒトの場合はコルチゾル)が介在する。この反応は認知 されたストレスシグナルが視床下部に働きコルチコトロピン放出 ホルモン(CRH)の放出を促すことから始まり、下垂体前葉か ら副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)が放出され、ACTHは副腎皮 質からのコルチゾルの分泌を刺激する。

 セロトニンは、ニューロンの増殖、遊走、及び分化を調節し、 発生初期の神経の形態形成を調節する重要な因子の一つでもあ る。急性ストレス反応は通常セロトニン神経系の乱れも伴う。

 広範囲の遺伝子がストレス反応の様々な局面を制御するため に、ストレスにより生じる生体の変化は、これらの遺伝子による 影響を受け、個人によりさまざまである。ストレス反応に関与す る遺伝子と身体的あるいは行動学的特性との関連性についての研 究が行われている。しかし、この種の研究では、混在しているそ の他の重要な因子が結果を左右することがあるため、常に結果が 再現されるとは限らない。紙面の関係から、個々の遺伝子型につ いての紹介は省略するが、ストレス反応経路を構成する遺伝子の 変異と行動異常との関連について概略する。

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4.1.自律神経系を介したストレス反応経路に おける遺伝子多型

 ストレスの急性反応においては、エピネフリンとノルエピネフ リンの生合成と分解を調節する遺伝子のなかで、重要な最終段階 の2つの反応をそれぞれ触媒するドーパミンβ水酸化酵素(DBH) とフェニルエタノールアミンN-メチル転移酵素(PNMT)は重要 であり研究が進んでいる。

 ドーパミンβ水酸化酵素(DBH)遺伝子は第9番染色体に位置 している。DBH遺伝子の転写調節領域と推定されている転写開 始点の上流1021番目の塩基CがTに変わる1塩基多型(SNP)は、 血漿中のDBH酵素を50%まで変化させる。コーデイング領域内 にもいくつかのSNPが報告されており、エクソン11の1つのコド ンがアルギニンからシステインへ変換する変異と機能変化が示唆 されている。血漿中の酵素レベル並びにDBH遺伝子型の変化と、 高血圧、精神病、偏頭痛、注意欠陥・多動性障害、及びアルコー ル依存症などの様々な生理的・行動学的な異常との関連が示唆さ れているが、ストレッサーに対する反応のなかで、この酵素自身 の変化に基づく特徴的な行動学的及び生理学的な変化は報告され ていない。

 もう一つの鍵となる酵素であるフェニルエタノールアミンN-メ チル転移酵素遺伝子(PNMT)は第17番染色体に存在する。 この遺伝子の転写制御に影響を与える可能性のある2つのSNPがプ ロモーター領域に同定されている。ケースコントロール研究によ ると、これらのSNPsと早発性アルツハイマー病との関連性やア フリカ系米国人の高血圧とこれらのSNPsとの関連性が報告され ている。

 エピネフリンとノルエピネフリンの受容体であるアドレナリン 受容体は、α(α1とα2サブタイプ)とβ(β1,β2,及びβ3 サブタイプ)の二つのタイプに体別される。これらの受容体は、 いわゆるβ遮断薬などの様々な薬剤の標的であり、これらの遺伝 子の変異は薬物治療の面からも重要である。ノルエピネフリント ランスポーター1タンパク質遺伝子(NET1)は、NAT1あるいはSLC6A2としても 知られている。この遺伝子は第16染色体にある 神経終末のシナプス内のノルアドレナリンの約80%はノルエピ ネフリントランスポーターにより再吸収される。SLC6Aは イミプラミンやディスプラミンなどの三環系抗うつ剤やアンフェタミ ンやコカインなどの薬物の標的の一つである。自律神経のノルエ ピネフリン、エピネフリン経路に関与する遺伝子の研究が進み、 これらの遺伝子多型は幅広い個人差を生み出すのに重要であるこ とが証明された8)。 この結果、これらの遺伝子の多型は、ストレ ス反応に直接あるいは間接的に連結するいくつかの病態を含め、 幅広い疾患に重要であることが示唆されているが、ストレス反応 の異常と直接結びつく遺伝子多型は未だ実証されていない。

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4.2.神経内分泌を介したストレス反応経路の 遺伝子多型

 視床下部・下垂体・副腎(HPA)軸を介した遅延反応に関与す る遺伝子多型も個人のストレス反応の個人差に重要とされる。ス トレスシグナルが視床下部に伝わることでHPA軸は活性化され、 最終的に、副腎皮質からコルチゾルが放出される。ほとんどのコ ルチゾルはコルチコステロイド結合グロブリンに結合した状態で 全身を循環している。古典的なコルチゾルの作用様式は、細胞内 にある特異的受容体(グルココルチコイド受容体)にグルココル チコイドが結合すると、グルココルチコイド・受容体複合体は核 内に移行して特異的な転写発現装置と作用し、転写を調節する。

 グルココルチコイド受容体には、グルココルチコイド受容体 (GR)とミネラルコルチコイド受容体(MR)の2種類がある。 しかしながら、後者のMRはアルドステロン及びグルココルチコ イドに対して同じような高親和性を示し、両者とも結合させる。GRは グルココルチコイドに特異的な受容体である。ストレスに より上昇したグルココルチコイドを介した主な反応には1次的にGRが 介在する。GR遺伝子についてはプロモーター領域を含めて いくつかの遺伝子多型が報告され、精神疾患との関連が示唆され ている9)。GR遺伝子は強い連鎖不平衡が存在するため、対立遺 伝子座の組み合わせは比較的少なく、主な4つのハプロタイプが 知られている。ハプロタイプの情報はグルココルチコイド治療に 対する反応を知る上で有用である。コーデング領域の変異体には、 タンパク質の第22と23番目のアミノ酸に隣接したコドンに2つの 多型が存在する。コドン22の塩基変化はアミノ酸(グルタミン酸) の置換をもたらさない。一方、コドン23の多型はアミノ酸をア ルギニンからリジンへと変化させる。プロモーター領域とコドン22-23の 対立遺伝子のある特異的な組み合わせを持ったヒトは、 グルココルチコイドに対して比較的に耐性を示す。また、コドン363の アスパラギンをセリンに置換させる多型は、グルココルチ コイドに対する高感受性と関連しているらしい。

 膜結合型のGRsは、肝臓、リンパ球、副腎、及び下垂体を含め たある一定の臓器に発現している。これらの様々な受容体を区別 する構造的な特徴についての情報は乏しい。さらに、遺伝子変異 がどのように膜結合型GRsを変化させるかについては、情報が乏 しい。しかし、GRの機能は、1つの大きな分子複合体を形成す るいくつかの構成因子との相互作用に依存している。5つのGR コシャペロンが活性の調節に重要であることが認識されており、 その5つのコシャペロンをコードする遺伝子は、BAG1 (BCL2- associated anthanogene 1)、STUB1 (STIP 1 homologous and U box-containing protein 1)、 TEBP (Thyroid transcription factor 1)、 FKBP4(FK-506 binding protein 4)、 FKBP5(FK-506 binding protein 5)である。これら5つの遺伝子の最近のSNP解析によると、FKBP5遺伝子座 に見られる3つのSNPsは、高頻度に再発を繰り 返し、抗うつ剤の処方に良く反応するうつ病と有意に関連するこ とが報告された。さらに、この遺伝子とその上流の遺伝子型を調 べることでこの明確な関連性をさらに裏付ける証拠が見つかっ た。特に、GRとFKBP5の相互作用はグルココルチコイドシグナ ルの制御及びHPA軸の反応性を制御する事が報告され、心的外傷 後ストレス障害(PTSD)との関連が注目されている10)

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5.慢性ストレスとテロメア

 慢性ストレスと病気の関係を説明できるような遺伝子、環境の 相互作用に関与する可能性をもつ遺伝子は多く存在する。ニュー ロトランスミッター機能は、これら多くのゲノム領域の一つでし かない。Epelらは全く異なったアプローチを行い、慢性疾患をも つ子供をかかえた母親の集団を調査して、慢性心理的ストレスの 細胞老化に対する影響を調べた11)。彼らは、ストレスの程度と末 梢血単核細胞のテロメアの短縮に有意な相関を認めた。テロメア は染色体の末端領域で、加齢とともに次第に短縮する。この研究 では、最も強いストレスを訴えた女性は、子供が健康な母親に比 べてテロメア平均長が短かった。このように、細胞の酸化ストレ スの増加により生じた細胞寿命の決定因子であるテロメア短縮は 心理的ストレスと関連していた。ストレスの低い母親と比べると、 最も強いストレスを感じていると思われる母親では、テロメアの 短縮は平均10歳年齢を重ねるのと同じ程度の短縮が認められた のは驚きである。

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6.発生初期の環境とストレス

 最近のもう一つの興味深い研究領域は、胎児期と幼児期の遺 伝・環境要因が、どのようにして大人になり、ストレスに遭遇し た場合の反応に影響を及ぼすかである。WelbergとSecklは、ス テロイドホルモンと視床下部−下垂体−副腎(HPA)軸が脳の胎 児期のプログラミングに重要な役割を持つと考え、これらの役 割を精力的に調査した12)。 動物実験では、胎児期のストレスは、HPA軸に長い間持続する影響 を与え、成獣になってからもHPA軸の過剰反応と行動及びストレス に対する反応性を明確に変化させるようにプログラムされると報告 している。胎児期にストレスに曝された成人ラットでは、ヒトの不安 状態を再現するような行動を増加させる。動物実験の結果をそのまま ヒトに当てはめて説明するのは細心の注意が必要である。しかしながら、 多くの臨床研究によって、妊娠時に母親が低栄養状態であったり、 低出生体重で生まれると、後の心血管障害、肥満、精神疾患の発症に 関連することが報告されている13)。 このような胎児期に受けたストレスは、 大人になってからの行動異常や精神病理的な変化と結びつく 可能性については、いまだ興味深い推測の域を出ていない。ステ ロイドホルモンとHPA軸はそのような結びつきに関連するものと して多くの研究で注目されている。

うつ病特異的遺伝子と健常人の心理ストレス応答遺伝子の図

図1.うつ病特異的遺伝子と健常人の心理ストレス応答遺伝子
未治療のうつ病患者32名に共通して発現変化している19遺伝子と健常人の急性 (13)及び慢性心理的ストレス(14)応答遺伝子のオーバーラップをベン図に 示した。慢性心理的ストレスとうつ病には共通して1つの遺伝子が含まれるが、 急性心理的ストレスとうつ病の双方のマーカー遺伝子に含まれる1つの遺伝子 は、急性心理的ストレスでは発現が亢進し、うつ病では低下していた。


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7.末梢血遺伝子発現プロファイリングによる ストレス反応の評価

 我々は、末梢血の遺伝子発現解析によるストレス・精神疾患 の病態解析と診断技術の開発を行ってきた。「こころを映し出すDNAチップの開発」 と命名したストレス評価用DNAチップを日 立製作所と共同で開発し、健常人のストレス14,15)、うつ病及び慢 性疲労症候群16)の解析を行ってきた。目的として、1)健常人 でみられるストレス反応の評価、2)ストレス関連疾患における 病的ストレス反応の検出、3)疾患発症を予知できる個人の遺伝 子発現の特性の同定、及び、4)環境応答性遺伝子の特定と遺伝 子発現の個人差(パーソナリテイ)の形成を明らかにすることを 目指した。

 うつ病はストレスが起因となって発症するが、未治療患者32名 で共通して発現変化する19遺伝子を、大学院生の学位発表会 と医師国家試験受験者でそれぞれ見いだした急性(70遺伝子) 及び慢性心理的ストレスマーカー遺伝子(24遺伝子)と比較す ると、うつ病患者は健常人のストレス反応では見られない特徴的 な遺伝子発現変化を示すことを見いだした(図1)。その後、大 学生の心の疾患の発症を調べるため、コホート研究を開始し、「末 梢血の遺伝子発現は、環境と遺伝子の相互作用の研究、脳科学研 究の有効なツールとなるか?」をテーマに、環境と遺伝子並びに パーソナリテイー研究へと展開している。

 これまでの研究成果をまとめると、末梢血遺伝子発現プロファ イリングは、
1.ストレス応答の質を解析できる。
2.白血球細胞の遺伝子発現は極めて安定、しかし大きな個人差 がある。
3.環境応答遺伝子がStaticな個人差(パーソナリテイ)の形成 に関わる可能性がある。
4.Staticな遺伝子発現と脳活動やストレス応答とリンクしてい る可能性がある。
5.うつ病患者に特有のうつ病パターンがあり、健常人の約 12%にも認められる。
などを明らかにしている。

 ストレス関連疾患の発症メカニズムを図2に示した。医学部新 入生300名の協力を得て、健常大学生のコホート研究を行ってい る。

ストレス起因する疾患の発症メカニズムの図

図2.ストレス起因する疾患の発症メカニズム
遺伝的素因、体内環境、出生時体重、養育環境などにより社会脳や性格特性な どの個人の生物学的特性が形成させる。この過程に問題があると、ストレッ サーに対して病的ストレス反応を引き起こし、個人の遺伝的特徴に応じた疾患 を発症する。


 遺伝子発現の個人差に注目し、個人間で発現に差が大きい396遺伝子 を用いると、5つの発現パターンに分かれること、それぞ れのグループのシグナルパスウエイに特徴があることを見いだし た(図3)。個人差を誘導する遺伝子は、質問紙により調べた睡 眠習慣、睡眠状態、生活習慣、食行動、養育環境のスコアと相関 する遺伝子が含まれており、環境応答遺伝子群と考えられる。な かでも、養育環境は興味深い。新入生が15才までの両親の養育 態度をどのように評価しているかをParental Bonding Instrument(PBI) で調査し、両親の愛情に不満をもち過度の干渉を受けた と感じている学生は、朝覚醒直後から30分までの唾液コルチゾ ルの分泌増加が悪く、血液細胞のグルココルチコイド関連遺伝子 の発現異常が認められ(図4)、養育環境によるストレス反応経 路が修飾される可能性を示唆している。本研究手法は、遺伝子と 環境の相互作用、疾患の予知医学、あるいはパーソナリテイー研 究への応用が期待できる。

健常大学生97名の末梢血遺伝子パターンの分類の図

図3.健常大学生97名の末梢血遺伝子パターンの分類
健常大学生97名の末梢血遺伝子発現をストレス評価用DNAチップで調べ、発現 量に個人差の大きい396遺伝子を用いてクラスタリングを行い、5つのグルー プ(A-E)に分類した(上図)。Ingenuity Pathway Analysis Application (IPA) を用いて、それぞれのグループにおけるCell death pathway, NFκB pathway, Growth signal,及びMYC pathway関連遺伝子の発現の違いを示した。


両親の養育態度を愛情不足と過干渉と感じている男子大学生に見られる遺伝子発現の変化の図

図4.両親の養育態度を愛情不足と過干渉と感じている男子大学生に見られる 遺伝子発現の変化
両親の養育態度を愛情不足と過干渉と感じている男子大学生は、愛情豊かで自 由に育ててくれたと感じる男子大学生に比べ、有意にうつ傾向を示す。前者の 学生には、グルココルチコイド関連遺伝子の発現が有意に変化している。青色 は発現の低下を、桃色は発現の亢進をそれぞれ示す。


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8.おわりに

 末梢血の遺伝子発現を調べて行くと、個人差の大きさには驚か される。遺伝的な素因に加えて、養育環境などの環境要因が個人 差を生み出しているのであろうか。最近、non-coding functional RNAに加えて、選択的スプライシングなどのpost-transcriptional regulation が環境変化に対応する重要な調節機構として注目され ている。遺伝子と環境の研究は今後益々重要なテーマとなると思 う。本来、ヒトの遺伝子は行動を制約するものでなくその可能性 を開くべきものである。そうだとすると、遺伝子と環境の命題を 解き明かす事は可能なのであろうか?

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謝辞

 本総説で紹介した我々の研究成果は、科学技術振興調整費「こ ころを映し出すDNAチップの開発」事業、日本科学技術振興機 構「脳科学と教育」事業、及び、日本科学技術振興機構育成研究 事業の研究助成で行ったものであり、心から感謝している。


著者プロフィール
氏名 六反一仁 (ROKUTAN Kazuhito)、55才
所属 徳島大学大学院ヘルスバイオサイエンス研究部
ストレス制御医学分野
住所 〒770 ‐ 8503
徳島市蔵本町3-18-15
京都府立医科大学医学科卒、医学博士
現在の研究テーマ ストレスゲノミクス、RNAプロセッシングとストレス応答
趣味 読書と庭木の剪定

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