ファージディスプレイとヒト抗体エンジニアリング

(Phage display technology and human antibody engineering)

顔写真

杉村和久
(Kazuhisa Sugimura)
鹿児島大学工学部
 

濱崎隆之
(Takayuki Hamasaki)
吉永圭介
(Keisuke Yoshinaga)
鹿児島大学理工学研究科

 

[ Summary ]

Since J.Koller and C.Milstein reported the production of a murine monoclonal antibody by means of cell fusion technology, a tremendous number of studies has been carried out in a search for therapeutic antibodies. However, few attempts have been successful regarding human therapy. The reason is the immunogenicity of murine or rat monoclonal antibodies in human. However, there has been a recent breakthrough as a result of two cutting-edge technologies involving phage display library and human antibody engineering. In this article, we describe the outline of these technologies and introduce the remarkable progress for molecular-targeted therapy and proteome analysis.

キーワード:
phage display(ファージディスプレイ)、scFv(一本鎖抗体)、 biopanning(バイオパニング)、human antibody(ヒト抗体)、affinity maturation(抗体親和性増強)、antibody engineering(抗体工学)、antibody medicine(抗体医薬)、proteomics(プロテオミクス)

 

1. はじめに

 抗体は生命が40億年かけて進化させた最高の生体防御分子であるにもかかわらずヒトの治療薬としてほとんど利用されてこなかった。その理由は、マウス抗体は作れるがヒト抗体を造る技術がなかったことによる。

 しかし最近、ヒト抗体遺伝子を有するマウスやヒト抗体を表面に提示するバクテリオファージライブラリーの利用ができるようになり、キメラ抗体でもヒト型化抗体でもなく、完全ヒト抗体を抗体医薬とする開発研究が急進展するとともにプロテオミクスへの革新的な応用技術開発が試みられている。

 私どもは1995年からバクテリオファージを用いたファージディスプレイの研究を開始し、その後ヒト抗体ライブラリを用いた抗体医薬の開発研究を進めており、本稿では特にファージディスプレイライブラリーを中心に、ヒト抗体エンジニアリングについて紹介し、抗体医薬開発の現状まで言及したい。

2. ファージディスプレイ

 ファージディスプレイは、1985年にG.Smithが繊維状ファージの表面にランダムペプチドの提示が可能であることをScience誌に報告したのを発端に1)、現在では目的の機能を持ったポリペプチドを迅速に単離する方法として発展しており、有用な生理活性ペプチドや新たな機能をもったタンパク質の創製、完全ヒト抗体の作製など様々な分野で応用されている。

 繊維状ファージM13は環状の一本鎖ゲノムDNAをもち、そのまわりに5つのコートタンパク(g3p, g6p, g7p, g8p,g9p)がアセンブリーした細長い筒状の構造をしており、大腸菌に感染して増殖するウィルスである。ファージディスプレイは、これらのファージコートタンパクと外来ポリペプチドを融合した形で発現させることでファージ表面にディスプレイさせる方法である。ファージに提示されている外来ポリペプチドのアミノ酸配列はファージゲノムの塩基配列を読むことで推定できることから、アミノ酸配列と機能の関係を容易に同定でき、さらに、ファージゲノムに組み込まれている外来ポリペプチド遺伝子へ変異を入れるだけで外来遺伝子の変異体をファージ表面に提示でき、より目的にそった分子を迅速に単離することが可能である。ファージへのディスプレイ法としては、ほぼ全てのコートタンパク質上に提示可能であるが、主にg3p,g8pへの提示系が用いられている。ファージ1匹に5分子存在するg3pを提示系として用いた場合、分子量約50,000程度までのポリペプチドをファージ1匹あたり1−5分子提示することができる。この分子数の少なさは強いアフィニティを有するポリペプチドの単離を可能にする。一方、ファージ1匹に約3,000分子存在するg8pを提示系として用いた場合、5−8アミノ酸残基のポリペプチドを約3,000分子提示させることが可能であることから弱いアフィニティを有するポリペプチドでも単離することができる。さらに、最近になってNovagenInc.によりT7ファージへのディスプレイシステムが開発された。T7ファージは415分子のコートタンパク:g10pに覆われたキャプシド構造をしており、g10pのN末またはC末に短いペプチドなら415分子、1200アミノ酸残基のポリペプチドなら5−15分子程度を提示させることができる。繊維状ファージとは異なり、C末端への提示が可能なことは外来遺伝子の導入によるファージコートタンパクの読み取りフレームへの影響や、コートタンパクより上流へのストップコドン導入がないので、cDNAlibraryを作製するのに有利である。また、T7ファージは繊維状ファージとは異なりタンパク変性剤(1% SDS, 4M urea, 2Mguanidine-HCl)存在下においても感染能を維持できることから、バイオパニングの溶出にこれらの変性剤を用いることで繊維状ファージの場合より高い特異性とアフィニティをもつポリペプチドの単離が可能である。

3. ファージ抗体ライブラリの種類

 1991年に、G. Winterらが抗体の結合部位であるVHとVLをリンカーでつないだscFv(一本鎖抗体)やFabの形でファージ表面への提示が可能であることを報告して以来2)、ファージディスプレイはヒト抗体作製技術として注目を集めている。これまでに様々な抗体ファージライブラリが作製・報告されているが、その抗体遺伝子ソースの違いで大きく3種類に分類される。

図1 抗体と抗体ファージの構造

抗体は抗原に結合する可変領域と生理活性に関与している定常領域から構成されている。抗体は可変領域の遺伝子再配列により抗原に対する多様性を獲得する。その抗体を組み換え抗体(scFv,Fabなど)の形で繊維状ファージ表面に提示することをファージディスプレイという。繊維状ファージはゲノムを5つのコートタンパク(g3p, g6p, g7p, g8p,g9p)で覆われた構造をしており、この図は抗体のVHとVLを直列につないだscFvをファージコートタンパクg3pに融合させてファージに提示させたモデルを示している。

3.1 免疫ライブラリ

 免疫ライブラリは特定の抗原で免疫された動物、感染症患者やワクチン接種して血中抗体価を上昇させたヒト、癌患者、自己免疫疾患のリンパ球由来の抗体遺伝子をもとに構築された抗体ファージライブラリである。このライブラリのレパートリーは免疫システムによるアフィニティマチュレイションで最初から抗原特異的な抗体に絞られており、ライブラリサイズが小さくてもかなり高い確率で特異性、親和性の高い抗体の作製が可能である。ただし、このライブラリはそれぞれの抗原ごとにライブラリを構築する必要がある。

3.2 ナイーブライブラリ

 ナイーブライブラリは健常人のリンパ球由来の抗体遺伝子をもとに構築された抗体ファージライブラリであり、抗体のレパートリーにバイアスがかかっていない。このライブラリはヒト自己抗原に対するヒト抗体の作製に有用である。ナイーブライブラリは免疫ライブラリとは異なり抗原特異的なクローンが少ないため、抗体の多様性が確保されていることが重要であり、結果的に大規模なライブラリを作製する必要がある。ナイーブライブラリから単離される抗体は免疫ライブラリから単離された抗体に比べてアフィニティの弱いクローンが大部分をしめると予想されたが、私どもや他の研究により十分なアフィニティー(nMのKd値)をもつ抗体の単離は可能であることが報告されている3,4)。また、たとえ抗体のアフィニティーが弱くてもin vitroでアフィニティーマチュレーションすることでその目的は達成される。

3.3 合成ライブラリ

 合成ライブラリはゲノムDNAにおけるV遺伝子や再構築され機能的なV遺伝子のCDR (complementary determining region)脚 注1)を、適当な長さのランダムなアミノ酸配列をコードするオリゴヌクレオチドで置換したライブラリである。抗体遺伝子の配列の多様性はH鎖のCDR3領域において見られることから、この領域のみを置換する場合が多い。また、最初から機能的なscFvを産生するVHとVL遺伝子の組み合わせでライブラリを構築できるため得られる抗体の発現量や安定性が高く、ランダムなオリゴヌクレオチドを用いるためナイーブライブラリよりも強い親和性及び多様性が得られる。ただし、このライブラリはヒト型化抗体ライブラリなのか完全ヒト抗体ライブラリなのかは判然とせず5-7)、抗体医療に用いる際にCDR3の人工的な配列に対するHAHA(humananti-human antibody)が生じる可能性も示唆されている。

図2 ナイーブ抗体ファージライブラリーの構築図

4. ヒト抗体ライブラリの構築

 私どもの研究に沿って詳細を述べる。基本的にファージディスプレイヒト抗体ライブラリにおける抗体の多様性は、多種類のVH遺伝子とVL遺伝子とをランダムに組み合わせることにより達成される。このVHとVLのランダムな組み合わせによって、本来は免疫系で選別されて現れないはずの組み合わせも生じるため、自己分子とも結合できる禁止クローンの単離も可能となっている。私どもの用いているライブラリはナイーブ(非免疫)ライブラリであり、複数のドナーより新鮮な末梢血リンパ球を確保し、mRNAを単離しcDNAを合成した。ヒト抗体のV領域のクローニング用プライマーについては複数の報告がされており2, 8-13)、V領域のファミリーごとに特異的なプライマーを設定し、cDNAよりプライマリーPCR でVH遺伝子とVL遺伝子をそれぞれ別個に増幅した。増幅したVH遺伝子とVL遺伝子とを、(GGGGS)3などのリンカーペプチド配列をコードしたリンカーDNAを利用してアセンブリPCR によりランダムに連結させ、scFv遺伝子を調製した。調製したscFv 遺伝子を制限酵素サイトSfi IおよびNot Iを利用してファージミドベクター脚注2)であるpCANTAB5Eに組み込み、scFv 遺伝子ライブラリを構築した。

 他のライブラリと同様、大きなライブラリを構築する際は、ここでの高い Ligation効率および形質転換効率が要求される。このscFv 遺伝子ライブラリを大腸菌TG-1(supF)にエレクトロポーレーション法により形質転換後、ヘルパーファージ脚注3)を重感染させ、scFv ファージライブラリを調製する。ここで、scFv-g3p以外のファージコートタンパクはヘルパーファージより供給され、ファージゲノムとしてscFv gene を含んだpCANTAB5E ファージミドがパッケージされ、表現型(scFv) と遺伝型(scFv gene) がリンクした状態が達成される。

図3 ヘルパーファージを用いた抗体提示の仕組み

 ここで用いているpCANTAB5E の系ではscFv 遺伝子とg3p遺伝子の境目にアンバーストップコドン(TAG)が導入されており、TG-1 などのサプレッサー変異株(supF)で培養したときにのみアンバーストップコドンがチロシンとして読まれ、scFvとg3p が融合されファージ上に提示される。サプレッサー変異株以外の大腸菌で培養した場合はscFvのみが発現され、大腸菌をかえることでファージへの提示と可溶性scFvタンパクの単独発現の両方が可能である。また、scFvにはC末端側にEtag

(GAPVPYPDPLEPR) が融合されているため、抗E tag抗体を用いた検出やアフィニティー精製が可能である。このライブラリから標的とする抗原に対する特異的な抗体を取得するためには、後述するバイオパニングと呼ばれる操作によって、抗原に結合する特定のファージクローンを選別し、目的の抗体遺伝子の単離と決定を行う。

ファージディスプレイヒト抗体ライブラリの多様性が大きいと、高い親和性、特異性を有するクローンが得られる確率が大きくなるわけであるが、膨大な多様性を有するライブラリの構築にはきわめて多くの労力、コスト、時間が必要である。高い親和性を有するクローンが得られない場合、後述するアフィニティーマチュレーションを行う必要がある。

図4 scFvのファージ上への提示と可溶性scFv発現が一つのベクターで両立できる

図5 抗体ファージライブラリのバイオパニング

5. バイオパニング

 バイオパニングとは、抗体ファージライブラリから目的の標的タンパクに対するファージを選別する操作である。これまでに様々なパニング法が知られているが、その基本的な流れは固定化した標的タンパクに抗体ファージライブラリを反応させ、結合しなかったファージを洗浄により除去した後に、結合したファージを溶出し大腸菌に感染させて増殖させるという操作を数回行うことで標的タンパクに特異的なファージを濃縮することである。標的タンパク質の固定化法はイムノチューブなどのプラスチック表面に標的タンパクを直接吸着させる方法が最も簡便で一般的である。ただし、この方法は吸着の効率や固定化による構造変化により標的タンパクに特異的なファージが濃縮されない可能性がある。このような場合には、標的タンパクをビオチン化し、固定化されたストレプトアビジンを介して固定化することで標的タンパクの性質に関係なく、またその構造に影響を与えずに固定することができる。また、ストレプトアビジンがコートされたビーズに標的タンパクを固定化することで、より低濃度の標的タンパクでパニングを行え、このことはパニングの際に各ファージ間での競合反応を増加させ、高親和性の抗体ファージクローンの単離を可能にする。細胞表面上の分子に対するパニングを行う場合には細胞に抗体ファージライブラリを直接反応させる細胞パニングがある。これははじめに親細胞に結合する抗体ファージを吸収した後に、標的分子を強制発現させた細胞に反応させることで目的の細胞表面分子に特異的なファージを濃縮する方法である。このようにバイオパニングの標的タンパクの固定化法には様々な種類があり、標的タンパクにあった方法を選ぶことが重要である。また、抗体ファージライブラリ中で同じ解離定数(KD=koff/kon)をもつ抗体ファージでも、ゆっくり会合するがゆっくり解離するもの(kon, koff がともに小さいもの)、すみやかに会合するがすみやかに解離するもの(kon, koff がともに大きいもの)とがある。前者はELISA法やwestern blotting法のようにリガンドーターゲット複合体を未反応のリガンドおよびターゲットから分離する操作(B/F分離:bound/free分離)が必要な用途に適しており、セレクション時に抗体ファージライブラリーと固相ターゲットの反応後、長時間洗浄してkoffが大きな抗体ファージを排除することで選択することができる。これはoff-rate selectionと呼ばれる。後者はB/F分離が不要な用途に適し、ライブラリーと固相ターゲットの反応時間を短くしてkonが大きな抗体ファージを優先的に回収することで選択することができる。こちらはon-rate selectionと呼ばれる。このようにセレクションの手法は、単離した抗体の用途に応じて考える必要がある。

6. 抗体エンジニアリング

6.1 scFv(一本鎖抗体)からIgGへ

 抗体ファージライブラリから得られたscFvを臨床で用いる場合には、そのフォーマットが活性に大きな影響を与える。scFvは完全抗体に比べ分子量が小さいことから組織への浸透効率がよいということが報告されているが14)、完全抗体は生体内での安定性・結合親和力の増加、エフェクター機能の付加などのメリットがあり、抗体を生体内で長期間作用させたり、膜上に標的分子を発現している細胞を除去したい場合にはscFvを完全抗体へ変換したほうが有利である。また、完全抗体へ変換後は、リンカーの除去や発現系が大腸菌から動物細胞にかわることから結合活性がなくなる場合もあるが、変換後の結合特異性は75%という高い確率で保持されたという報告もされている15)

図6 scFvから完全抗体への変換

scFvから完全抗体への変換の大まかな流れは図示してあるようにscFv遺伝子を含むプラスミドベクターからVHとVLの遺伝子をPCRにより増幅し、抗体の定常領域遺伝子があらかじめ組み込まれているプラスミドベクターに導入し、CHOなどの動物細胞で発現させる方法である。このように抗体ファージライブラリから単離されたscFvの完全ヒト抗体への変換法はほぼ確立してきており、完全ヒト抗体を医薬品として用いることは現実性をおびてきている。

6.2 アフィニティーマチュレーション

6.2.1 アフィニティーマチュレーションの目的

 一般的に有用な抗体は高い親和性、特異性を有している。パンニングによって目的の分子に結合する抗体が単離できたとしても、その親和性が低いために実用に適さない場合がある。そのような場合、以下に述べるアフィニティーマチュレーション(Affinitymaturation:抗体親和性成熟)によって親和性を高めることが可能である。

6.2.2 生体内でのアフィニティーマチュレーション

図7 生体内アフィニティーマチュレーションと in vitro アフィニティーマチュレーションの比較

 免疫系では、抗原による刺激が繰り返されることでより強い抗体が産生されるようになるというアフィニティーマチュレーションの存在が古くから知られている。アフィニティーマチュレーションにより抗体の親和性を高めることで、免疫系はより効率的に病原体を排除できるようになる。このアフィニティーマチュレーションは大きく分けて2つのステップからなる。1つ目のステップは抗体遺伝子への変異の導入である。B細胞では抗原刺激が繰り返されると、抗体遺伝子V領域に高頻度に突然変異が導入されることがわかっており体細胞突然変異(Somatic

hypermutation)と呼ばれている。2つ目のステップは、体細胞突然変異によってできたB細胞変異体から親和性の強いクローンの選択で、より抗原と強く反応したB 細胞クローンが選択される。

6.2.3 in vitro アフィニティーマチュレーションの実際

 in vitroアフィニティーマチュレーションは、免疫系が採用している2つのステップを模倣して行われている。1つ目のステップである抗体遺伝子への変異導入の方法としては、chain shuffling法、修復系を欠損し変異を起こしやすい大腸菌16)やエラープローン PCR を用いたランダム変異導入法(random mutagenesis)、CDR walkingなどがある。2つ目のステップであるセレクションは、変異導入によってできた二次変異ライブラリ(secondarymutant library)からの高親和性抗体のスクリーニングである。例えば、1)セレクションに用いる抗原量を低濃度にして高アフィニティーの抗体ファージを回収する方法、2)洗浄条件を厳しく設定し抗原からはずれにくい(koffが小さい)抗体ファージを回収する方法、3)拮抗反応を利用した方法などが考えられる。

しかしながら、この上記の方法にはいくつかの問題点がある。それは最終的に高親和性抗体を得るまでに以下に示すようないくつもの複雑なステップがあり、時間と労力を要することである。1)リンパ球およびハイブリドーマ等から抗体遺伝子をファージミドベクターへ組み込みライブラリ化する必要がある。2)このライブラリから目的のクローンを選別する。3)さらに選別されたクロー
ンに遺伝子工学的改変を加え二次変異ライブラリを構築する。4)二次変異ライブラリから高アフィニティー抗体を選択する。5)得られた高親和性抗体分子をFab またはwhole IgG等へ変換し、大量に調製するための発現系構築が必要である。これにかわって、もし、抗体産生に用いられるハイブリドーマで直接アフィニティーマチュレーションができれば極めて有用で容易な手法となるであろう。

7. ファージライブラリとファージ抗体の特長

7.1 多様性は無限

 これまでは「抗体は動物を免疫して作製する」のは「あたりまえのこと」である。しかしこの手法では、糖鎖、脂肪、脂質、低分子を標的とすると、理想的な特異抗体がなかなか採れないか、ほとんど不可能な場合が多い。おそらく高等動物の糖鎖の類似性ゆえ、免疫される動物自身がすでに、自己の分子としてトレランス にあるからと推察できる。一方ファージライブラリは、ヒト抗体のV遺伝子をランダムに組み合わせ結合させ、それがそのままin vitroでの免疫系を再現するため、免疫学的な自己と非自己の選別過程を経ることがない。すなわち、正真正銘、この免疫システムはほぼ無限大の特異性を含有している。このscFvの多様性を利用して、コンフォメーションを識別する抗体の作製も試みられ、最近のFranck Perez(Inst.Curie)の報告では活性型GTP結合Rabと不活性型GDP結合Rab分子のコンフォメーションを認識するscFv抗体をもちいてliving cell 中のRab分子の一分子イメージングに成功している17)。抗体を作製するのに「動物を免疫するという操作」が必要な手法では、このファージライブラリの特性を乗り越えることができない。特に生体内の分子を標的とする抗体医薬開発にとって、この特性は強調されていいと思われる。

7.2 超高速

 私どもの研究を例に述べる。ハブ咬傷による被害は奄美大島をはじめとして年間約200名程度であり、その抗血清は馬で作製され、しかもその抗毒素活性は不完全で筋壊死を阻止できない。ハブ毒は多数の毒性酵素の混合物であり、馬抗血清の欠点を補うヒト抗体をファージライブラリで単離することを行った。この研究では、多数の抗原の混合物であるハブ毒をSDS-PAGEで分離し、そのゲルを1mmずつスライスし、96穴ELISAプレートに少量の緩衝液とともに入れ一晩放置し、そのウエルにファージライブラリを添加しバイオパニングを行い、標的のバンドに特異的な抗体ファージを単離できることを明らかにした18)。これは、抗原の精製、免疫、細胞融合、ハイブリドーマのクローニング、特異性のスクリーニングの全プロセスを省いて、数日間で達成できるということを示している。

7.3 抗毒素

 上述の研究のように毒物に対する抗体を作製する場合、通常は免疫される動物に致死的にならないように細心の注意を払いながら免疫操作をおこない、抗血清を作製する。しかし、ファージライブラリでは、標的抗原をプラスチックプレートに固定化し、単純にバイオパニングを行うことで抗体を作製することができる。

7.4 感染症とscFv

 感染症にはモノクロナール抗体では十分な効果が期待できず、ポリクロナール抗体を必要とするというのが、これまでの経験にもとづいた考え方である。昨年のSanDiegoで開催された抗体エンジニアリングの会議で、Bioterro対策ではscFvが重要であるという2つの研究成果が報告された。ともに米国政府主導の感が強いが、Kathrine Bowdish (Alexion AntibodyTechnologies)が炭疽菌(Bacillusanthracis)の感染を阻止する抗体作製、またJames D Marks(UCSF)はBotulinumneurotoxinに対する抗毒素抗体の作製について、ファージライブラリを用いてscFvを単離し、Fab,あるいはIgGに抗体エンジニアリングを行い、2つ以上のエピトープの異なる抗体をまぜることで、感染予防が成立することを明らかにした19,20)。ちなみに感染実験にはAbgenixが開発したヒト抗体遺伝子を組み込んだマウスが用いられた。これらの研究成果は、ファージ抗体ライブラリと抗体エンジニアリングとヒト抗体遺伝子マウスの3つの要素が揃えば、ほぼ完全なヒトの感染免疫実験系で研究開発を進めることができることを示している。ファージライブラリを使えば、これまでの手法以上にエピトープの異なる多数の抗体を容易に確立することができ、今後の感染予防や阻止治療薬の開発に大きい影響を与えると思われる。

このようにファージライブラリ法はこれまでの「免疫」についての常識を超えた革命的な特長を有している。

8. ディスプレイテクノロジーの現状

 最後に「抗体医薬」からは少し外れるが「医療」への貢献という観点からディスプレイテクノロジーの先端を簡単に紹介したい。ヒトに投与する抗体医薬の場合はできるかぎりナチュラルであることが必須であるが、診断等で標的分子に特異的な素子を開発するとなるとその人工化に制限はない。この領域も激しく進展している。その性状には、熱安定性、低分子化、大量生産、低価格等の特性が求められる。抗体V領域の3次構造と類似の構造

(scaffold)分子を利用し、そのループ形成部分をランダム化もしくは抗体V遺伝子のCDR3を組み込むことにより人工抗体が作製されている。ProteinAを抗体化してAffibody21)、GFPを抗体化した光る抗体Fluorobody22)、 fibronectinのdomain10を抗体化したMinibody23)、ペプチドミミック分子と抗体の融合分子、Pepbody24)などはその例である。標的特異的素子の開発はRNAライブラリーでも目覚ましい進展がみられており、

Aptamer(RNAの阻害剤)とAntidote(aptamerの相補配列RNAでaptamerの除去剤25))、RNAの光学異性体 (enantio-RNA)を利用したSpiegelmers26)などが報告されている。 関連する境界領域の拡大はすさまじく、AngelaBelcher(MIT)らが報告した「繊維状ファージ抗体の自己組織化を利用したカーボンナノチューブの作製」27)など、そのアイデアの斬新性と革新性、そしてその進展の速度は驚異的である。

9. おわりに

 ヒトゲノム解析が終了し、疾病における標的分子の上限が予測可能な現在、国際的にはこの領域の重要性から欧米の挑戦はすさまじい状況となっている。本稿では抗体医薬の詳細については概説しなかったが、抗TNFα抗体や抗IL-6受容体抗体による慢性関節リューマチでの素晴らしい成果は注目されている。完全ヒト抗体医薬開発はこの2〜3年の間で急展開しており、前臨床試験を含めると既に100以上の抗体医薬の開発が進行している。

 抗体医薬は、分子標的医療であるため、原因分子が明らかになっておれば、確実にその生命を救うことができる。癌のオーダーメード医療への貢献が期待されるとともに数千万人が対象となる疾病に対する抗体医薬の貢献は計り知れない。さらに、利潤追求できないために民間企業では医薬品開発の対象にもされない数々の疾病もある。本文でも述べたが、昨年12月のSanDiegoで開かれた抗体エンジニアリングの会議では、米国政府が主導してバイオテロ対策のためのヒト抗体エンジニアリングのベンチャーを立ち上げ、バイオテロに対応している。抗体医薬は分子標的医療の典型でもあり、国際的な抗体医薬開発の勢いは標的分子がある限り続くと思われる。

参考文献

1) G. P. Smith, Science, 228, 1315 (1985).

2) J. D. Marks, H. R. Hoogenboon, T. P. Bonnert et al., J. Mol. Biol., 222, 581 (1991).

3) R. Gejima, K. Tanaka, T. Nakashima et al., Human Antibodies, 11, 121 (2002).

4) D. F. Gardoso, F. Nato, P. England., et al., Scand J. Immunol., 51, 337 (2000).

5) Biolnvent (Lund, Sweden), http://www.bioinvent.com/, ref) Nat. Biotechnol., 18, 852 (2000).

6) Crucell (Leiden, Netherlands), http://www.crucell.com/, ref) J. Mol. Biol., 296, 57 (2000).

7) C. Nizak, S. Monier, del E. Nery et al., Science, 300, 984 (2003).

8) M. Welschof, P. Terness, F. Kolbinger, M. Zewe, G.Opelz., J. Immunol. Methods., 179, 203 (1995).

9) M. Welschof, M. Little, H.Dorsam, Methods Mol. Med., (1997).

10) R. Orlandi, D. H. Gussow, P. T. Jones, G. Winter, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 86, 3833 (1989).

11) J. D.Marks, M. Tristem, A. Karpas, G. Winter, Eur. J. Immunol., 21, 985 (1991).

12) M. J. Campbell, A. D. Zelenetz, S. Levy, R. Levy, Mol. Immunol., 29, 193 (1992).

13) C. F. Barbas III, et al., IRL Press(Oxford), 1 (1996).

14) D. E. Milenic, T. Yokota, D. R. Fipula, et al., Camcer Res., 51, 6363 (1991).

15) K. Barbara, R. Robert, R. Silke, et al., J. Immunol. Methods, 254, 67 (2001).

16) N. M. Low, P. Holliger, G. Winter, J. Mol. Biol., 260, 359 (1996).

17) C. Nizak, S. Monier, del Nery E., et al., Science, 300, 984 (2003).

18) 國料秀勇, 伊東祐二, 米澤弘夫, 杉村和久, ハブ毒中の筋壊死因子に 対する中和抗体の作製, ファルマシア, 39 (2), S150 (2003).

19) K. Bowdish San Diego Meeting.

http://www.alxnsd.com/company/testimonials/04042003.html : Testimony at House Committee on USA Government, April 4, 2003.

20) A. Nowakowski, C. Wang, D. B. Powers, et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 99, 11346 (2002).

21) K. Nord, O. Nord, M. Uhlen, et al., Eur. J. Biochem, 268, 4269 (2001).

22) I. S. Kim, J. H. Shim, Y. T. Suh, et al., Biosci. Biotechnol. Biochem.,
66, 1148 (2002).

23) V. Batori, A. Koide, S. Koide. Protein Eng., 15, 1015 (2002).

24) E. Lunde, V. Lauvrak, I. B. Rasmussen, et al., Biochem. Soc. Trans., 30, 500 (2002).

25) C. P. Rusconi, E. Scardino, J. Layzer, et al., Nature, 419, 90 (2002).

26) B. Wlotzka, S. Leva, B. Eschgfaller, et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 99, 8898 (2002).

27) A. M. Belcher. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 100, 6946 (2003) ibid, phage-based electronic and magnetic materials, Cambridge Healthtech Institute’s Fourth Annual Molecular Display, Boston, May 11, (2003).

一般参考書

・ O’ Brien P., et al., Antibody Phage Display-Methods and Protocols, Methods in Molecular Biology, Vol. 178 (Humana Press Inc, 2002).

・ R. Kontermann & S. Dubel, Antibody Engineering, Springer Lab Manuals (Springer, 2001).

・ C. Barbas, et al., Phage Display: Laboratory Manual (Cold Spring Harbor Laboratory Press, 2001).

・ 杉村和久, 伊東祐二, 本格化する抗体医療:抗体エンジニアリングと抗 体医療のすべて, バイオベンチャー, 2 (4), 28 (2002).

・ 伊東祐二, 田中孝一, 橋口周平, 杉村和久, ヒト抗体エンジニアリン グと分子標的医療, バイオインダストリー, 34, 2003年7月号

・ 杉村和久, 橋口周平, 伊東祐二, ファージディスプレイ法  Molecular Medicine, 40 (10), 1150 (2003).

Molecular Medicine, 40 (10), 1166 (2003).

著者紹介
氏  名 杉村 和久(Kazuhisa Sugimura)
年  齢 55歳
所  属 鹿児島大学工学部生体工学科 教授
連絡先 〒890-0065 鹿児島県鹿児島市郡元1-21-40
TEL: 099-285-8345 FAX: 099-258-4706
E-mail: kazu@be.kagoshima-u.ac.jp
出身校 1978年大阪大学医学部医学研究科博士課程修了後、
Harvard Univ. Med. Scl.へ留学
研究テーマ 遺伝子工学を用いた免疫病の治療および診断法の研究開発
氏  名 濱崎 隆之(Takayuki Hamasaki)
年  齢 25歳
所  属 鹿児島大学理工学研究科物質生産工学専攻博士後期課程
連絡先 TEL: 099-285-8347 FAX: 099-258-4706
E-mail: hamasaki@be2.be.kagoshima-u.ac.jp
研究テーマ IL-18シグナルを阻害するヒト抗体の作製
氏  名 吉永 圭介(Keisuke Yoshinaga)
年  齢 25歳
所  属 鹿児島大学理工学研究科物質生産工学専攻博士後期課程
連絡先 TEL: 099-285-8347 FAX: 099-258-4706
E-mail: keisukey@be2.be.kagoshima-u.ac.jp
研究テーマ 抗体のアフィニティマチュレーションに関する研究

次のREVIEW