名古屋大学大学院医学系研究科 川本文彦
地球温暖化の影響により熱帯域が拡大していくにつれ、今まで 日本とは無縁と思われていたマラリアが、身近な問題としてク ローズアップされる日も近いのではないかと思われる。今回は、そ のマラリア発生地域に深く関係のあるG6PD異常症およびそのス クリーニング方法に関して紹介したい。
G6PD異常症(G6PD Deficiency)とは、グルコース6リン酸脱水素酵素(G6PD)の活性が著しく低いため、酸化作用を防御す る還元型グルタチオン(GSH)の補充が不十分となり、ヘモグロビ ンの変性によるHeinz小体の形成、細胞膜の透過性異常の結果、主 として血管内溶血をきたす疾患である。平素は無症状であるが、感 染などで薬剤服用後、ヘモグロビン尿を主症状とする溶血発作、黄 疸、貧血を呈する。酵素異常による溶血性貧血では最も頻度が高 い疾患である。
G6PDの構造を決定する遺伝子はX染色体に存在する。した がって、母親から異常な遺伝子を受け継いだ男児に発症する。女 性でもホモ接合であれば発症するが、ヘテロ接合では正常酵素を 持った赤血球と異常酵素を有する赤血球が種々の割合で混在する ため、全体の活性は個人差が大きく、一般には無症状となる場合 が多い。
世界中ではおよそ4億人がG6PDの異常遺伝子を持っていると みなされている。地理的分布に特徴があり、アフリカ、地中海沿 岸諸国、東南アジアの頻度が高い。人種的にはクルド系ユダヤ人 男性の50%、アフリカのバンツー人の20%、アメリカ黒人の10 〜15%、ナイジェリア人の20%、北ヨーロッパ白人の0.1%以下 など偏りが顕著である。日本における頻度は0.1%以下とみなされ ている。
本症はマラリアと深い関係にあり、本症の分布とマラリアの流 行地域の地理的相関から、この疾患はマラリアの自然淘汰により 有利な形質として選択された結果と想像されている。特に、G6PD 異常症の熱帯熱マラリア原虫感染に対する抵抗性は、疫学的な相 関と人工培養での研究からも推察されている。しかしながら、最 近の疫学調査では、G6PD異常症とマラリア感染防止の間には相 関がないと結論している報告1)もある。
三日熱マラリア感染の根絶療法薬として、また、熱帯熱マラリ アの生殖母体による伝播を防止するための薬としても使用されて いるものにプリマキンがある。しかし、このプリマキンがG6PD 異常症患者に対して溶血性貧血を引き起こす。この溶血性貧血は 医学的に重大な問題であり、また、マラリア対策における化学療 法活動においても制限を与える結果となっている。従って、マラ リア対策プログラムが開始する前に、地域住民のG6PD異常症を 前もって把握することが大変重要となっている2) 。
G6PD異常症の診断には、今日までに多くの方法が発表され、蛍 光スポット法3,4)、ホルマザン基質の3-(4,5-dimethyl-2-thiazolyl)- 2,5-diphenyl-2H tetrazolium bromide(MTT)と発色試薬の phenazine methosulfate(PMS)を使ったホルマザン法5,6,7) などが知られている。しかし、いずれの方法でも村落の現場で実際 に応用するには種々の問題を抱えている。特に、蛍光スポット法 は最も良く知られた方法で、簡便かつ迅速な方法の一つである。し かし、本法は紫外線ランプと電気を必要とすることが主たる欠点 である。即ち、多くのマラリア流行地などの辺鄙な地域では電気 が供給されておらず、たとえ供給されていても夕方以降のみであ ることが多い。また、この方法では、片方のX遺伝子のみが異常 であるヘテロ接合体の女性(50%前後の活性を有する)のG6PD 異常症の検出は極めて難しい8)。本症は、父親のみならず母親から も子供に伝わる遺伝子疾患であるため、ヘテロ接合体の女性異常 者の検出も重要となる。
一方、MTTホルマザン法では、MTTがヘモグロビンと反応す るため、これが普及できない主要な問題の原因ともなっている。即 ち、血液とMTTを直接反応させないようにするため種々の工夫が 行われてきたが、そのために診断キットの作製に多大な時間や研 究室的な作業が必要となっている。これらの方法の中では、 DEAE-Sephadexを担体とした方法7)は、全く機器を使用せず、 視認で判定する方法で大変優れた方法である。しかし、ゲルの作 製に多量の緩衝液と多大な時間を必要とし、10%以下の活性であ れば検出が容易であるが、20-50%程度の欠損者の検出は難しい。 また、使用されている試薬のPMSが強い光感受性であるため、判 定の正確性に問題がある1)。更に、これまでに報告されたホルマザ ン法を利用したG6PD異常症の診断では、産生されたホルマザン が非水溶性であるため、G6PD活性の定量的測定はかなり難しい という欠点を持つ。
筆者は、新しいホルマザン基質である2-(2-methoxy-4-nitrophenyl) -3-(4-nitrophenyl)-5-(2,4-disulfophenyl)-2H tetrazolium monosodium salt (WST-8)がヘモグロビンと反応せず、産生されたホルマザンも高度に水溶性であり、MTTとは異なって いることに着目し、G6PD異常症診断への応用を試みた。そして G6PD酵素で産生されたNADPHの測定に、WST-8を基質として水溶液中で使用することが可能となった (Fig 1)。WST-8のホルマザンは460nmに最大吸収を有し、強い橙色を呈するため発 色結果を視認で確認できる。従って、マラリア流行地のような電 気が供給されていない地域でも、電気や高価な機器類を一切必要 とすることなく、その場で目視による診断ができることになる。更 に本法は、MTTホルマザン法では測定できなかった20-50%程度 の欠損者に対しても目視で診断できるようになった(Fig 2)。また、電気が供給されている都市部では、ELISAリーダーなどを利 用して、少量の試薬で正確な酵素活性を定量的に測定することも 可能である(Fig 3)。
このようにWST-8をホルマザン基質として使用することで、簡 便かつ高精度のG6PD異常症の診断が可能になった。マラリア発 生地域住民のG6PD異常症を本法で診断される日も近い。
Fig. 1 WST-8を用いたG6PD活性の測定原理
Fig. 2 実際の発色画像
正常血液とG6PD異常症血液を混ぜて得られた種々の酵素活性サンプルを反 応チューブに入れてWST-8にて橙色に発色させた。
各々のチューブには5μlの血液を加えている。
1.血液無添加の陰性対照区
2.基質を抜いて血液を加えた陰性対照区
3. G6PD異常症血液
4〜6.G6PD異常症血液と正常血液を3:1、1:1、1:3の割合で混ぜた 血液の活性
7.正常血液
チューブ1〜3には橙色の発色は認められない。またチューブ4〜5では弱い 発色が認められ、陰性対照区(チューブ1〜3)と陽性対照区(チューブ7)が 容易に区別できる。
Fig. 3 血液サンプルの発色の時間的増大
Fig.2の血液サンプルのG6PD活性を吸光度計で測定した結果。
測定値は5回の繰り返し実験の平均値を示す。室温で30〜60分の反応で、吸 光度の直線的増加が認められる。
1) I. S. Tantular, et al., Tropical Medicine and International Health, 4, 245 (1999).
2) A. Ishii, et al., Japanese Journal of Parasitology, 43, 312 (1994) .
3) E. Beutler, Blood, 28, 553 (1966).
4) E. Beutler and M. Mitchell, Blood, 32, 816 (1968).
5) V. Fairbanks and E. Beutler, Blood, 20, 591 (1962).
6) H. Fujii, et al., Acta Haematologica Japonica , 47, 185 (1984).
7) A. Hirono, et al., Japanese Journal of Tropical Medicine and Hygiene, 26, 1 (1998).
8) A. Pujades, et al., Int. J. Hematol., 69, 234 (1999).