ケミストからみたポストゲノム

〜Overview〜

 

九州大学工学研究院応用化学部門

片 山 佳 樹

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1.はじめに

 ヒトゲノム計画により、ヒトの全ゲノムの塩基配列が明らかになろうとしている。その直接の成果は、これから本格化する網羅的、体系的な遺伝子の発現解析と多型解析、機能解析にあるといえる。ゲノム研究とポストゲノムの流れに関する総説は、すでに非常に多く存在することもあり、本連載では、工学あるいはケミストの立場から見たポストゲノムとして、今回、全体像を概説した後、次回より今後有用となるであろう技術についてご紹介していきたいと考えている。分析技術はこれまで、大規模な装置を用いて感度や性能を競うところがあったが、これからのゲノム研究では、迅速、安価が極めて重要なキーワードになろう。


2.ゲノム研究の流れとポストゲノム

 ゲノムとは、染色体上に存在する全遺伝子の総体である。ゲノム研究は、これまでの研究手法と異なり、一つ一つの遺伝子やタンパクに着目するのではなく、全体を網羅的に解釈するところに違いがある。例えば、ある遺伝子の機能が特定の疾患に関連付けられたとして、現実にはその遺伝子の機能のみが変化してその疾患が起こるわけでは無い。特に、多くの疾患、特にCommon dis easesと呼ばれる疾患は、多くの遺伝子が関わる多遺伝子疾患であり、これらの理解には、遺伝子機能全体の動きの理解が必須となる。

 

2.1.ゲノム研究の流れ

 ゲノム研究の内容としては、全塩基配列の解読による物理地図の作成後、遺伝子配列の決定、遺伝子のゲノム上での位置決定(マッピング)、遺伝子多型の解析、刺激や疾患などに伴う発現変化、遺伝子機能の解析(タンパクの同定と発現解析、機能解析)などが挙げられる。ゲノムの物理地図作成後、このデータを用いてその後の研究が可能となり、これらがポストゲノムと呼ばれる研究である。

 ゲノムの塩基配列が分かったことと、全遺伝子配列が分かることとは同じではない。真核生物の遺伝子は多くの場合、介在配列により分断されており、また、遺伝子の開始部分を予測することも困難である。EST(発現配列タグ:cDNAの一部に相当する短いDNA断片)を収集することで、ゲノム上の発現可能な部分を調べることはできるが、遺伝子配列そのものを解析するには、タンパクをコードするメッセンジャーRNAから逆転写して得られる cDNAの配列を解析するのが最も効率がよい。しかしながら、全長のcDNAを得ることはそれ程容易なことではない。現在では、オリゴキャップ法1)やキャップトラッパー法 2)などの技術が利用される。また、遺伝子のマッピングのためには、ポジショナルクローニングなどの技術がある。ゲノム塩基配列決定からこの部分までは、いわばゲノム研究の土台にあたる部分であり、コストがかかろうと既存の技術でかなりのところまでこなしてしまえる。しかしながら、その先にある種々の研究カテゴリーは、産業に直結するため、現状の技術ではクリアできない効率的技術が必要とされ、事実、現在極めて多くの技術開発が進行している。本連載では主としてこの部分の技術について述べる。

2.2.遺伝子多型解析

 異なる個体間で遺伝子上の同一箇所の塩基配列が異なる場合、その頻度がその種全体の1%以上である時に、これを多型、1%以下のものを突然変異という。多型には、塩基配列が挿入されたもの(挿入多型)、欠失したもの(欠失多型)、繰り返し配列の長さの異なるもの(ミニサテライトやマイクロサテライト)、一塩基が変化したもの(一塩基多型)などがある。多型は、それが遺伝子上に存在し、機能に関係する場合は、疾患に直結する場合がある。

 また、遺伝子の近傍にある場合も含めて、特定の遺伝子のゲノム上での位置決定に有用なマーカーとなる。多型のこのような利用法は、特に疾患関連遺伝子などの特定に効果的である。ある疾患関連遺伝子が遺伝した固体は、その近傍にある多型部分も同時に引き継いだ可能性が高いため、ある疾患を有する群に特異的な変異を見つければ、その近傍に疾患遺伝子が見つかる可能性が高い。多型をゲノム上のマーカーとする場合、マーカーの数は多いほど、位置決定が容易かつ正確になるのは言うまでも無い。その意味で、最も高頻度に表れる一塩基多型(SNP)が最も注目されている。SNPは1000塩基に一つくらい存在し、ゲノム中に300 万〜1000万個あるといわれている。

 

3.SNP解析

 SNPの解析といっても、ゲノム上のどこにSNPが存在するのかを調べるSNPマッピングと、明らかになったSNPをそれぞれの個体で分析し、どの塩基に置換しているかを明らかにするSNP タイピングがある。前者では、少数のサンプルにおいて多数の SNPを検出し、その位置を決めることが必要であり、後者では、多数のサンプルで特定(少数)のSNPを解析できることが必要となる。従って、どちらの手法かで解析技術に要求される条件が異なる。SNPマッピングは、すでにかなりの成果がでており、SNP コンソーシアムなどによりデータベース化が進められている。しかし、SNP解析で産業上より重要なのは、疾患関連遺伝子の探索などに直結するSNPタイピングである。最近、Table 1のようなSNPタイピングを指向した種々の技術が開発されている。それらは大別すると、蛍光を用いる方法とマススペクトルを用いる方法に大別できる。各々については、次回より詳しく解説するが、これらの中でも、Invader assay3)やLuminex法 4)は、実用化が始まっている。また、マススペクトルで用いられるプライマー伸長法を蛍光と組み合わせたDOL assay5)やmolecular beaconを用いるSniper assay6)も期待される手法である。タグDNAをアレイにすることで一般性を持たせたTagアレイ7) も有力な手法である。一方、マスを用いる手法は、主としてプライマー伸長法を基本とするものが多い。この手法は、SNPの一塩基5’端側までに相補的なプライマーをハイブリダイズさせておいて、そこからサンプルを鋳型として伸長反応を行い、SNPの種類により伸長生成物の分子量が変わるようにする手法である。一般にddNTPと dNTPを組み合わせて用いる。その組み合わせ方によりPinpoint assay8)やPROBE法9)などがある。また、更に高感度化を狙って、dNTPに化学修飾したり、逆に残ったddNTPを測定するなどの方法もある。その他にオリゴプローブを用いる手法がある。

 こちらは、SNP部位を含む領域に相補的なプローブを用いて2 本鎖形成させ、2本鎖を形成したプローブの分子量を計測するものが代表的である10)。プローブとしてPNAを用いたり、SNP領域を翻訳してペプチドで計測する手法もある。

 

 

Table 1 New technique for SNP typing

Technique using fluorometry 
as detection
Technique using Mass spectrometry

Without PCR Based on primer extention
Invader assay   Pinpoint assay (four kind of ddNTP)
Sniper assay   Primer extention with three kind of ddNTPs and a dNTP
With PCR PROBE assay (in solution, on chip)
DOL assay   Survivor assay
Luminex assay   Primer extention with labeled ddNTP
Oligo-Tag array   Primer extention with 15N/13C-labeled NTP
LCX(R) assay   GOOD assay
Kinetic PCR + PicoGreen Using oligo-probe
TaqMan PCR   Using PNA probe
Pinpoint assay  Using biotinylated primer(for short tandem repeat)
Using chaperon probe
Invader assay
Using translation to the peptide


4.RNA(DNA)-タンパクをセットで取り扱う

 遺伝子の機能解析としてタンパクを調べる場合、それをコードする遺伝子とセットで取り扱うと有用である。例えば、ファージディスプレイは、その代表で、ある機能を有するタンパクをスクリーニングすれば、同時にその遺伝子が得られる。これをin vitroで行う方法として、Table 2に示すような手法が報告されている11-13)

Table 2 RNA(DNA)-Protein display

Phage display
Ribosome display
RNA-protein fusion using puromycin
STABLE assay

5.プロテオーム解析

 遺伝子の総体がゲノムであるのに対し、タンパクの発現プロフィール全体をプロテオームという。ゲノムプロジェクトの究極の目的である、遺伝子の機能の解析とそのネットワークの解明は、このプロテオーム無くしては解析できない。プロテオーム解析に関連する技術(Table 3)は大別すると、タンパク間相互作用を見る方法と、タンパクを同定する手法、それを発展させてタンパク発現の変化を見る方法(RNAでのdifferential displayに相当)である。

 タンパク間相互作用を見る手法としては、Yeast Two Hybrid14)が有名であるが、その欠点の克服や種々の応用を目指してタンパク再構成を利用する手法15)やイースト以外で行う手法、ハイスループット化等多くの方法が生まれている。また、タンパクだけではなく、小分子とタンパクの相互作用を見る手法も開発されている。これらの手法とは別に、タンパク機能解析に蛍光を用いる方法があるが、通常の蛍光標識では機能を損なうなど、種々の弊害がある。最近、これを克服するための種々のユニークな蛍光標識法がある(Table 4)。また、蛍光タグとして同一励起波長で多くの色を出せる蛍光タグも開発されている。

 マススペクトルは、遺伝子だけでなく、プロテオーム解析技術としても注目される。タンパク同定やシーケンシング、発現変化の解析では、ペプチド配列解析や同定の効率を上げる種々のテクニック16)や発現比較を定量的に行うICAT法 17)などが開発されている。また、プロテオーム全般に関連することであるが、種々のプロテインチップ開発が始まっている。

Table 3 Various techniques for proteome analysis

For protein indentification For the investigation of protein-protein (ligand)
and differential display interaction
Peptide sequence using charged tag Based on two-hybrid system
(SMA or SPA reagent)   Yeast two hybrid system (Y2H)
Isotope label   Large scale Y2H
ICAT assay   Y2H in mammalian cell
ICAT assay with 15N-enrich medium   Three hybrid system
2-dimensional PAGE   One hybrid system
Capillary LC Based on protein complementation assay
Identification of phosphorylation site   Using Dihydroforate reductase(DHFR)
Protein array   Split Ubiquitin
Using protein splicing
Using b-galactosidase
Using rasGEF+V-src myristoylation signal
Using adenylyl cyclase
Other
Using isotope-labeled crosslinker
Protein array

 

 

Table 4 Fluorescence labeling for proteome research

GFP fusion
Protein insertion into GFP
Fluorescence labeling using puromycin
Fluorescence correlation spectroscopy
Energy transfer cassette
Quantum dot
FLASH

6. おわりに

 上述した技術以外にも、ユニークなタンパク複合体精製法や、電気化学的にSNPを解析したりタンパク相互作用を検出したりする手法もある。また、これまでと全く違ったイオンチャネルを利用して遺伝子のシーケンシングを行うナノポアシーケンシングのような技術も生まれつつある。産業に直結する技術として、今後開発の意義が大きいものは何であろうか。SNPのマッピングは、これから技術開発しても間に合わない可能性がある。ゲノム研究の基盤として力を発揮したDNAチップのような技術は、今後は、改良研究が主となろう。SNPタイピングに関しては、迅速性と経済性を競う技術がまだ開発される余地は残っている。しかし何といっても、今後、必要となるのはプロテオームの関連した諸技術であろう。また、ゲノムから得られた情報をできるだけ効率よく、薬剤などの商品開発に結びつける質的に新しい技術革新が待たれる。例えば、ゲノム研究が進めば、個人レベルで薬物の最適化等が図れるテーラーメイド医療が実現するなどというのはよく耳にすることであるが、現実には、少なくとも現在の技術でそれは極めて困難であろう。個人向けの薬物が調合されるということは、開発する薬ひとつひとつの市場が小さくなることを意味する。現在の技術で、製薬会社がこの開発費―市場規模の問題をクリアできるとは考えられず、今のままでは利用できるのは、せいぜい、薬物代謝遺伝子の利用による副作用の回避程度であろう。本連載が、ゲノム研究に横たわる問題を考えるための一助となれば幸せである。

参考文献

紙面の都合もあり、ここでは代表的な幾つかを挙げる。次回以降の各項目で詳しく列挙する。

1) Y. Suzuki, K. Yoshimoto-Nakagawa, K. Maruyama, A. Suyama, S. Sugano, Gene, 200, 149 (1997).

2) P. Carninci, C. Kvam, A. Kitamura, T. Ohsumi, Y. Okazaki, M. Itoh, M. Kamiya, K. Shibata, N. Sakaki, M. Izawa, M. Muramatsu, Y. Hayashizaki, C. Shneider, Genomics 37, 327 (1996).

3) V. Lyamichev, A.L. Mast, J.G. Hall, J.R. Prudent, M.W. Kaiser, T. Takova, R.W. Kwiatkowski, T.J. Sander, M. de Arruda, D.A. Acro, B.P. Neri, M.A.D. Brow, Nature Biotechol, 17, 292 (1999).

4) J. Chen, M.A. Iannone, M-S. Li, J.D. Taylor, P. Rivers, A.J. Nelsen, K.M. Slentz-Kesler, A. Roses, M.P. Weiner, Genome Res, 10, 549 (2000).

5) X. Chen, B. Zehnbauer, A. Gnirke, P-Y. Kwok, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 94, 10756 (1997).

6) A.S. Piatek, S. Tyagi, A.C. Pol, A. Telenti, L.P. Miller, F.R. Kramer, D. Alland, Nature Biotechnol., 16, 359 (1998).

7) J-B. Fan, X. Chen, M.K. Halushka, A. Berno, X. Huang, T. Ryder, R.J. Lipshutz, D.J. Lockhart, A. Chakravarti, Genome Res, 10, 853 (2000).

8) P. Ross, L. Hall, I. Smirnov, L. Hall, Nature Biotechnol, 16, 1347 (1998).

9) A. Braun, D.P. Little, H. Koster, Clin. Chem. 43, 1151 (1997)

10) T.J. Griffin, W. Tanng, L.M. Smith, Nature Biotechnol, 15, 1368 (1997).

11) J. Hanes, A. Pluckthun, Proc. Natl. Acad, Sci. USA, 94, 4937 (1997).

12) R.W. Roberts, J.W. Szotak, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 94, 12297 (1997).

13) N. Doi, H. Yanagawa, FEBS Lett., 457, 227 (1999).

14) C-T. Chien, P.L. Bartel, R. Sternglanz, S. Fields, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 88, 9578 (1991).

15) J.N. Pelletier, F-X. Campbell-Valois, S.W. Michenick, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 95, 12141 (1998).

16) F. Karimi-Busheri, G. Daly, P. Robin, B. Canas, D.J.C. Pappin, J. Sgouros, G.G. Miller, H. Fakhrai, E.M. Davis, M.M. Le Beau, M. Weinfeld, J. Biol. Chem., 274, 24187 (1999).

17) S.P. Gygi, B. Rist, S.A. Gerber, F. Turecek, M.H. Gelb, R. Aebersold, Nature Biotechnol., 17, 994 (1999).

 


氏 名 片山佳樹(Yoshiki Katayama) 41歳
所属 九州大学工学研究院応用化学部門・応化分子教室
連絡先

 

〒812-8581 福岡市東区箱崎6-10-1

    TEL:092-642-3608 FAX:092-642-3611

    e-mail:ykatatcm@mbox.nc.kyushu-u.ac.jp

出身学校 九州大学工学研究院合成化学専攻  学位:工学博士
現在の研究テーマ 細胞情報と化学情報を相互変換する分子の創製と機能

(科技団さきがけ)

 各種細胞シグナル伝達計測系の開発

 ポストゲノムを指向したタンパク間相互作用や

 細胞表現系ハイスループットアッセイ系の開発

主な著書 NO放出薬の臨床応用の可能性、循環器科、44(4)、344(1998)

ケージド化合物、蛋白質、核酸、酵素、43(12)、397(1998)

趣味 ドライブ、イラスト
 


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